2010年12月24日金曜日

農地契約~カフェへの道#2

農業委員会のOKが出て、農地取得の契約手続きをした。

場所は不動産会社の事務所。重要事項の説明は既に受けていたので、坦々とことが運ぶと思っていた。

ところが、売り主の方の物件に対する熱意がすごい。使われているステンドグラス。木材。栽培されているブルーベリーの品種。農業用水管路が漏れた話。ランプ。薪ストーブの煙突・・・。話がなかなか先に進まない。

それでも一応、契約書を取り交わし、重要事項説明書を受け取り、契約手続きは終わった。

それから現地へ。物件の説明を受ける。希望していたのは、薪ストーブと薪風呂釜の使い方。薪ストーブは杉の小枝を焚きつけにして薪を乗せる。はじめはさほど暖かくなかったが、だんだん温まってくる。特に2階はいい。香りもいい。

ついで風呂釜。火がおきると、部屋の中も温まってきた。

それから外へ。外周の境界の場所を教えていただき、植えられている樹木の説明を受ける。一気に覚えられない。クワ、ヤマボウシ、サクラ、ナラ・・・。覚えきれない。今度来た時は、名札を持ってきて、記入して掛けておこう。

そうしている間に雪がどんどん積っていく。ここは山の高原。雪が積もって当然の土地。今日はクリスマスイブだ。

2010年12月20日月曜日

仕事は農業~カフェへの道#1

本日、ある町の農業委員会で、農地法第3条申請の許可が下りた。

どういうことかというと、農地を売りたい買いたい、という申請を農業委員会に出して、審査の結果、OKとなったのだ。

私は買主。卒サラの新規営農参入者。これで職業は農業、と胸を張って言える。

農地は、資材置き場にされたり、宅地にして売られたりすると農地がなくなってしまうから、簡単には売買できない。農地は、売買価格も固定資産税も安いが、これは食べ物を作る農地だからの措置。

今日、町役場の2階で開かれた委員会に出席すると、委員の方がずらり。みんな農業のプロなんだろう。大学院で農業を学んでいる、なんて言ってもほとんど効果がない。ブルーベリーを作りたい、と営農計画を説明したが、ブルベリーは金にならない、とあっさり。農業は甘くないよ、ということだ。

でも、こんなこと、ここで言っていいのかどうか、とカフェの計画を話しだしたら、風向きが変わった。

農業では収入が得られないと思うので将来的にはカフェを開きたい。カフェでブルーベリーの加工品を提供したい、と踏み込んだ。次の瞬間、委員の方が身を乗り出してきた、ような気がした。

最後は、意欲を示してもらえれば、ということで聴聞は終わった。

夕刻、農業委員会の事務局から電話。許可が下りた、ということだった。

問題はこれから。土地を手に入れても、農業をうまく成功させなければならない。作物は生き物。土を作り、育てる。次に、カフェをオープンするのだ。広い自然の中で、農園のあるカフェ。その実現に向けて動き出した。

2010年12月7日火曜日

NAHAマラソン

 第26回NAHAマラソンを走ってきた。今年の参加者は23,402人。うち71%、16,845人が6時間15分の制限時間内に完走した。

 午前9時、ジャイアンツの阿部慎之介選手、プロゴルファーの上原彩子選手、翁長雄志那覇市長がつく万国津梁之鐘でスタート。いつも通り、すごく混んでいて、13577番の自分はスタートに着くまで16分以上かかった。それからも混んでいて、国際通り、ひめゆり通りはなかなか前に進めない。5Km地点に到着するまで50分もかかった。

 でも、NAHAマラソンはタイムではない。42.195Kmを楽しむお祭りなのだ。

 沿道の応援は途切れることがない。黒砂糖やミカン、バナナを用意して提供してくれる。エイサーはじめ、鉄腕アトムやパイプラインの演奏も楽しい。高校生とハイタッチし、小さな子とロー(?)タッチ。

 隣を走ってるランナーが突然、「○○ニイニイー」と声を上げた。知人を見つけたのだ。さっと寄って行って記念撮影。そんな光景が至るところで見られた。

 マラソンの前日から那覇の街はランナーで一杯になり、当日の晩、翌日は足をひきづるランナーがあふれる。毎年の光景だ。

 マチグワー(市場)で買い物をするとき、ランナーだと言うと、ちょっぴりおまけしてくれたりして。

 1年後の12月第1日曜は、また那覇に来よう。

2010年9月14日火曜日

排出権取引

CO2の排出権を取引する、という制度がある。

CO2など温室効果ガスは地球温暖化に影響し、環境を悪化させる。だからCO2を削減しよう。CO2を自ら削減できない国、会社はCO2を削減できた、もしくはCO2の排出が少ない国または会社から、CO2の排出権を買おう、という制度だ。

日本は97年にまとめた京都議定書で、2008年から2012年の5年間に1990年比でCO2の排出量を6%削減する、と約束した。さらに2009年9月、鳩山首相は国連で、90年比で25%削減すると宣言した。

この削減目標達成のためには、CO2の排出を抑制したぐらいでは、とても無理。そこで排出権取引。森林のCO2吸収を認証機関に認定してもらい、その排出権を売買。CO2の排出量を削減しなければならない電力会社などが購入する。

日本は現在、ボランタリー状態。企業がCO2削減の目標を定めて、自主的に削減努力している。だから、CO2削減はなかなか進まない。なにしろボイラーをヒートポンプに変えたり、太陽光発電を導入するには金がかかる。そうやってCO2削減に努力しても見返りが少ない。理屈ではわかっても、現状のままの方が、支出が少なくて済むのだ。しかし2013年から、目標未達成にペネルティーが科せられる、という動きがある。そうなると、CO2を削減しよう、抑制しよう、とする企業が一気に増えるに違いない。

そのとき、排出権取引は脚光を浴びる。

そんな日は来るだろうか。

写真は岩手の植物工場。この工場では蛍光灯を照明器具に使っている。この9月、反射板を設け、蛍光灯の数を一気に半分に減らす。電気代が減り、CO2抑制にも貢献する計画だ。

2010年8月24日火曜日

150回記念

蕎麦を食べる集まり、三木会の150回記念特別例会に参加してきた。

元々は山形東高校卒業の同級生会、東哉会の集まり。第3木曜に集まるから三木会。蕎麦を食べ、語らうのが目的だったが、蕎麦に加えて日本酒を楽しむ会に発展した。会費3000円で美味しい日本酒が楽しめるとあって、友達の和が広がり、最近は同級生以外の人が多くなった。私もその一人。山形の例会に仙台からのこのこ出掛けて行った。

この日、150回記念の集まりには31人が参加。千葉・藤平酒造の「福祝 純米吟醸」で乾杯した後、過去の集まりで登場した第1回例会の天童・出羽桜酒造「春雷 大吟醸」、第50回例会の酒田・楯の川酒造「源流冷卸 中取り純米」、第100回例会の山形・秀鳳酒造場「恋おまち 純米吟醸」がふるまわれた。この3つのお酒は利き酒会の対象となったため、みんな真剣に味比べを行い、メモを取る。「あっ、俺わかった。間違いない」と自称、酒の通は自信を深める。

続いて佐賀・富久千代酒造「鍋島 大吟醸」、同じく富久千代酒造の「鍋島 Summer Moon(吟醸)」、宮城・新澤醸造店の「伯楽屋 純米吟醸」と「伯楽屋 特別純米」、石川・鹿野酒造の「常きげん 純米」、「常きげん 特別純米幻の加賀の庄」とおいしいお酒が次々に登場。会長が手打ちした蕎麦もふるまわれ、お酒の酔いも手伝い、会は最高潮に。

最後に、「楯野川 純米吟醸にごり生」を閉めでいただく。このお酒は特別参加の楯の川酒造社長さんからいただいたもの。すっきりした味わいで、夏にぴったりの清涼感が漂った。

日本酒を意識した料理プレート、150回記念ケーキもいただき、大満足の夜であった。

2010年8月21日土曜日

ミランコビッチ・サイクル

地球が太陽の周りを回る公転(E)は実は一定ではない。太陽に近づく楕円を描くこともあるし、太陽から遠い楕円を描くこともある。約19,000~23,000年の周期で近づいたり、離れたりしている。また地球の地軸の傾き(T)も一定ではない。公転面に対して23.4度といわれるが、実は22~23.5度で変化している。この周期は約41,000年。さらに地軸の方向(P)もコマが回る(歳差運動)ように変化している。

セルビアの物理学者、ミルティン・ミランコビッチ(1879~1958)の理論は生前、証明が難しかったが、南極やグリーンランドの氷のデータ(氷床コア)で太古の温度変化がわかるようになり、事実と見られるようになってきた。

地球は氷期と間氷期を繰り返しており、今は間氷期。マンモスのいた氷期に比べれば高い気温だが、恐竜が全盛時代を迎えていた1億年前に比べれば、気温が低い。ミランコビッチの理論によれば、地球の気温は上昇中で、今後3万年間、次の氷期に入ることはない。

図はIPCC(気象変動に関する政府間パネル)の第4次報告書から。

2010年7月26日月曜日

シカン、そしてインカ

仙台市博物館で開かれているペルーの黄金都市シカンの展示を見てきた。TBSが昨年7月から全国で展示している。今はちょうど仙台で見られる。

ペルーの北沿岸部で西暦1000年ごろに栄えた文明、シカン。発掘された墓からは、埋められた人以外に、人の顔を模した土器や黄金の仮面が見つかった。

この展示を見た日、たまたま以前録画したインカのTV番組を見た。

インカはシカンの後に同じペルーで発達した文化。高原都市クスコが首都。

番組によると、インカはミイラによって栄えた、という。どういうことかというと、国の統治者が亡くなると、ミイラにしてあがめ、それによりその周囲の人間は同じ地位を維持したという。最高位者がミイラであるから、後継者は他の土地に進出し、そこで亡くなると、またミイラにされ、そのミイラを守る者の存在を守った。

このようにしてミイラ文化は全国に広がって行った。

そして興味深いのは生贄の歴史。その当時、インカの地方都市では神々に大切なものをささげる文化があった。首都クスコがその地方を統治するためにやったことは、クスコに住まう貴族の子供を生贄として差し出したこと。

そのミイラが数千メートルの山々に残っていた。子供たちはきれいな衣装に身を包まれ、クスコから地方の山に連れて来られ、酒を飲まされ、眠りこけて死んだという。寒冷の山から発掘された子供のミイラは、肌つやもよく、まだ死んだばかりのよう。

やがてインカはスペイン支配の前に滅びてゆく。その背景にはミイラによるインカ支配に抵抗する地方組織があったという。

番組は、インカはミイラによって栄え、ミイラによって滅んだ、と結んでいる。

写真はシカンともインカとも無関係のシーラカンス。いわきアクアマリンのはく製。