2010年12月25日土曜日

ホワイトクリスマス

昨夕から雨が雪に変わった仙台は、ホワイトクリスマスの朝となった。

沖縄でいただいた月桂樹、近所で買ったオリーブの木、そして沖縄ナンバーの車にも雪が積った。

子供もいないし、宗教的にも関係ないし、何かと気ぜわしい。クリスマスなんて他人事と思っていた。ところが昨日のイブでは、スーパーに買い物に行き、ついそれらしい惣菜を買ってしまった。

フライドチキン、ピザ、サラダ、ケーキ、そして南アフリカの赤ワインにロールケーキ。いつでも店頭に並んでいる食べ物、飲み物だが、クリスマスソングが流れる店内で物色し、サンタマークの包装で彩られると、クリスマスの必需品のように思えてくる。

食卓で惣菜をテーブルに広げると、やっぱりクリスマスっぽい。赤ワインをグラスについだら、80代の母親が「乾杯」とグラスを持ちあげた。思わず「何に乾杯するの?」。キリストの生誕祝い? 物件の契約祝い? ともかく乾杯。

一夜明けたクリスマスの日。当然ながらプレゼントの開封なんて行事はないし、「メリークリスマス」なんて挨拶もない。いつものようにご飯に味噌汁。

一つだけ違った。前の晩、食べ忘れたロールケーキを切って食べた。窓の外の雪を見ながら、その味を噛みしめた。

2010年12月24日金曜日

農地契約~カフェへの道#2

農業委員会のOKが出て、農地取得の契約手続きをした。

場所は不動産会社の事務所。重要事項の説明は既に受けていたので、坦々とことが運ぶと思っていた。

ところが、売り主の方の物件に対する熱意がすごい。使われているステンドグラス。木材。栽培されているブルーベリーの品種。農業用水管路が漏れた話。ランプ。薪ストーブの煙突・・・。話がなかなか先に進まない。

それでも一応、契約書を取り交わし、重要事項説明書を受け取り、契約手続きは終わった。

それから現地へ。物件の説明を受ける。希望していたのは、薪ストーブと薪風呂釜の使い方。薪ストーブは杉の小枝を焚きつけにして薪を乗せる。はじめはさほど暖かくなかったが、だんだん温まってくる。特に2階はいい。香りもいい。

ついで風呂釜。火がおきると、部屋の中も温まってきた。

それから外へ。外周の境界の場所を教えていただき、植えられている樹木の説明を受ける。一気に覚えられない。クワ、ヤマボウシ、サクラ、ナラ・・・。覚えきれない。今度来た時は、名札を持ってきて、記入して掛けておこう。

そうしている間に雪がどんどん積っていく。ここは山の高原。雪が積もって当然の土地。今日はクリスマスイブだ。

2010年12月20日月曜日

仕事は農業~カフェへの道#1

本日、ある町の農業委員会で、農地法第3条申請の許可が下りた。

どういうことかというと、農地を売りたい買いたい、という申請を農業委員会に出して、審査の結果、OKとなったのだ。

私は買主。卒サラの新規営農参入者。これで職業は農業、と胸を張って言える。

農地は、資材置き場にされたり、宅地にして売られたりすると農地がなくなってしまうから、簡単には売買できない。農地は、売買価格も固定資産税も安いが、これは食べ物を作る農地だからの措置。

今日、町役場の2階で開かれた委員会に出席すると、委員の方がずらり。みんな農業のプロなんだろう。大学院で農業を学んでいる、なんて言ってもほとんど効果がない。ブルーベリーを作りたい、と営農計画を説明したが、ブルベリーは金にならない、とあっさり。農業は甘くないよ、ということだ。

でも、こんなこと、ここで言っていいのかどうか、とカフェの計画を話しだしたら、風向きが変わった。

農業では収入が得られないと思うので将来的にはカフェを開きたい。カフェでブルーベリーの加工品を提供したい、と踏み込んだ。次の瞬間、委員の方が身を乗り出してきた、ような気がした。

最後は、意欲を示してもらえれば、ということで聴聞は終わった。

夕刻、農業委員会の事務局から電話。許可が下りた、ということだった。

問題はこれから。土地を手に入れても、農業をうまく成功させなければならない。作物は生き物。土を作り、育てる。次に、カフェをオープンするのだ。広い自然の中で、農園のあるカフェ。その実現に向けて動き出した。

2010年12月7日火曜日

NAHAマラソン

 第26回NAHAマラソンを走ってきた。今年の参加者は23,402人。うち71%、16,845人が6時間15分の制限時間内に完走した。

 午前9時、ジャイアンツの阿部慎之介選手、プロゴルファーの上原彩子選手、翁長雄志那覇市長がつく万国津梁之鐘でスタート。いつも通り、すごく混んでいて、13577番の自分はスタートに着くまで16分以上かかった。それからも混んでいて、国際通り、ひめゆり通りはなかなか前に進めない。5Km地点に到着するまで50分もかかった。

 でも、NAHAマラソンはタイムではない。42.195Kmを楽しむお祭りなのだ。

 沿道の応援は途切れることがない。黒砂糖やミカン、バナナを用意して提供してくれる。エイサーはじめ、鉄腕アトムやパイプラインの演奏も楽しい。高校生とハイタッチし、小さな子とロー(?)タッチ。

 隣を走ってるランナーが突然、「○○ニイニイー」と声を上げた。知人を見つけたのだ。さっと寄って行って記念撮影。そんな光景が至るところで見られた。

 マラソンの前日から那覇の街はランナーで一杯になり、当日の晩、翌日は足をひきづるランナーがあふれる。毎年の光景だ。

 マチグワー(市場)で買い物をするとき、ランナーだと言うと、ちょっぴりおまけしてくれたりして。

 1年後の12月第1日曜は、また那覇に来よう。

2010年9月14日火曜日

排出権取引

CO2の排出権を取引する、という制度がある。

CO2など温室効果ガスは地球温暖化に影響し、環境を悪化させる。だからCO2を削減しよう。CO2を自ら削減できない国、会社はCO2を削減できた、もしくはCO2の排出が少ない国または会社から、CO2の排出権を買おう、という制度だ。

日本は97年にまとめた京都議定書で、2008年から2012年の5年間に1990年比でCO2の排出量を6%削減する、と約束した。さらに2009年9月、鳩山首相は国連で、90年比で25%削減すると宣言した。

この削減目標達成のためには、CO2の排出を抑制したぐらいでは、とても無理。そこで排出権取引。森林のCO2吸収を認証機関に認定してもらい、その排出権を売買。CO2の排出量を削減しなければならない電力会社などが購入する。

日本は現在、ボランタリー状態。企業がCO2削減の目標を定めて、自主的に削減努力している。だから、CO2削減はなかなか進まない。なにしろボイラーをヒートポンプに変えたり、太陽光発電を導入するには金がかかる。そうやってCO2削減に努力しても見返りが少ない。理屈ではわかっても、現状のままの方が、支出が少なくて済むのだ。しかし2013年から、目標未達成にペネルティーが科せられる、という動きがある。そうなると、CO2を削減しよう、抑制しよう、とする企業が一気に増えるに違いない。

そのとき、排出権取引は脚光を浴びる。

そんな日は来るだろうか。

写真は岩手の植物工場。この工場では蛍光灯を照明器具に使っている。この9月、反射板を設け、蛍光灯の数を一気に半分に減らす。電気代が減り、CO2抑制にも貢献する計画だ。

2010年8月24日火曜日

150回記念

蕎麦を食べる集まり、三木会の150回記念特別例会に参加してきた。

元々は山形東高校卒業の同級生会、東哉会の集まり。第3木曜に集まるから三木会。蕎麦を食べ、語らうのが目的だったが、蕎麦に加えて日本酒を楽しむ会に発展した。会費3000円で美味しい日本酒が楽しめるとあって、友達の和が広がり、最近は同級生以外の人が多くなった。私もその一人。山形の例会に仙台からのこのこ出掛けて行った。

この日、150回記念の集まりには31人が参加。千葉・藤平酒造の「福祝 純米吟醸」で乾杯した後、過去の集まりで登場した第1回例会の天童・出羽桜酒造「春雷 大吟醸」、第50回例会の酒田・楯の川酒造「源流冷卸 中取り純米」、第100回例会の山形・秀鳳酒造場「恋おまち 純米吟醸」がふるまわれた。この3つのお酒は利き酒会の対象となったため、みんな真剣に味比べを行い、メモを取る。「あっ、俺わかった。間違いない」と自称、酒の通は自信を深める。

続いて佐賀・富久千代酒造「鍋島 大吟醸」、同じく富久千代酒造の「鍋島 Summer Moon(吟醸)」、宮城・新澤醸造店の「伯楽屋 純米吟醸」と「伯楽屋 特別純米」、石川・鹿野酒造の「常きげん 純米」、「常きげん 特別純米幻の加賀の庄」とおいしいお酒が次々に登場。会長が手打ちした蕎麦もふるまわれ、お酒の酔いも手伝い、会は最高潮に。

最後に、「楯野川 純米吟醸にごり生」を閉めでいただく。このお酒は特別参加の楯の川酒造社長さんからいただいたもの。すっきりした味わいで、夏にぴったりの清涼感が漂った。

日本酒を意識した料理プレート、150回記念ケーキもいただき、大満足の夜であった。

2010年8月21日土曜日

ミランコビッチ・サイクル

地球が太陽の周りを回る公転(E)は実は一定ではない。太陽に近づく楕円を描くこともあるし、太陽から遠い楕円を描くこともある。約19,000~23,000年の周期で近づいたり、離れたりしている。また地球の地軸の傾き(T)も一定ではない。公転面に対して23.4度といわれるが、実は22~23.5度で変化している。この周期は約41,000年。さらに地軸の方向(P)もコマが回る(歳差運動)ように変化している。

セルビアの物理学者、ミルティン・ミランコビッチ(1879~1958)の理論は生前、証明が難しかったが、南極やグリーンランドの氷のデータ(氷床コア)で太古の温度変化がわかるようになり、事実と見られるようになってきた。

地球は氷期と間氷期を繰り返しており、今は間氷期。マンモスのいた氷期に比べれば高い気温だが、恐竜が全盛時代を迎えていた1億年前に比べれば、気温が低い。ミランコビッチの理論によれば、地球の気温は上昇中で、今後3万年間、次の氷期に入ることはない。

図はIPCC(気象変動に関する政府間パネル)の第4次報告書から。

2010年7月26日月曜日

シカン、そしてインカ

仙台市博物館で開かれているペルーの黄金都市シカンの展示を見てきた。TBSが昨年7月から全国で展示している。今はちょうど仙台で見られる。

ペルーの北沿岸部で西暦1000年ごろに栄えた文明、シカン。発掘された墓からは、埋められた人以外に、人の顔を模した土器や黄金の仮面が見つかった。

この展示を見た日、たまたま以前録画したインカのTV番組を見た。

インカはシカンの後に同じペルーで発達した文化。高原都市クスコが首都。

番組によると、インカはミイラによって栄えた、という。どういうことかというと、国の統治者が亡くなると、ミイラにしてあがめ、それによりその周囲の人間は同じ地位を維持したという。最高位者がミイラであるから、後継者は他の土地に進出し、そこで亡くなると、またミイラにされ、そのミイラを守る者の存在を守った。

このようにしてミイラ文化は全国に広がって行った。

そして興味深いのは生贄の歴史。その当時、インカの地方都市では神々に大切なものをささげる文化があった。首都クスコがその地方を統治するためにやったことは、クスコに住まう貴族の子供を生贄として差し出したこと。

そのミイラが数千メートルの山々に残っていた。子供たちはきれいな衣装に身を包まれ、クスコから地方の山に連れて来られ、酒を飲まされ、眠りこけて死んだという。寒冷の山から発掘された子供のミイラは、肌つやもよく、まだ死んだばかりのよう。

やがてインカはスペイン支配の前に滅びてゆく。その背景にはミイラによるインカ支配に抵抗する地方組織があったという。

番組は、インカはミイラによって栄え、ミイラによって滅んだ、と結んでいる。

写真はシカンともインカとも無関係のシーラカンス。いわきアクアマリンのはく製。

2010年7月4日日曜日

RE2010


6月27日から2日まで横浜のパシフィコ横浜で開かれた再生可能エネルギー2010国際会議に出席してきた。

30日からは、すぐ隣の展示場で、新エネルギー世界展示会と、太陽光発電の総合イベントPVJapanが始まり、毎日1万人以上の人を集めていた。

国際会議の方は、太陽や風力、地熱などの研究者が集まり、それぞれの研究成果を発表。議論を交わした。

展示会の方は、太陽光発電のPVJapanの規模が圧倒的に大きく、追い風の業界であることを示した。

興味深かったのは、家畜の糞尿を効率よく燃やすために乾燥化する技術や、家畜の糞尿からガスを取り出す技術。堆肥だけでは消化しきれない家畜糞尿を再生エネルギーとして利用する技術は将来、必須のものとなろう。

改めてなぜ再生可能エネルギーが必要か、を考えると、一つは地球温暖化問題。もう一つはエネルギーセキュリティー問題、が背景にある。

地球温暖化については、それを否定する意見もあるが、CO2など温室効果ガスが大気を多い、地表温度を高めている、というのはどうも本当であるようである。長い地球の歴史から見れば、現在の温度はそれほど高くないらしいし、人間など現在の動植物が死滅しても、別の生き物が生成される可能性もある。しかし、現在の動植物を守ろう、救おうとすれば、温室効果ガスの削減に努めなければならない。

エネルギーセキュリティー問題は、自分たちのエネルギーは自分たちで生み出そう、ということ。一部の産油国やオイルメジャーなどに頼り切っていれば、自分たちの暮らしが危うくなるから、自活しようということだ。ロシアの天然ガスに頼っているヨーロッパの国々が、ロシアの意向で燃料を止められるという事態があったが、ああいうことに対する防衛措置である。

地球温暖化対策、CO2削減については、現時点では再生可能エネルギーだけで賄うのは無理そうである。原子力発電の利用を組み入れれば、CO2削減に大きく役立つから、安全に十分配慮しながら原子力発電を利用することが必要ではないか。

その上で、足りないエネルギー分を再生可能エネルギーに頼る。もちろん再生可能エネルギーで原子力発電の分も賄えるようになれば、それにこしたことはない。

もう在庫が見えている化石燃料は、単純に燃やすのではなく、石油でなければできない加工品の利用などに限定すべきなのだ。

2010年6月14日月曜日

環境シンポジウム

IBMが主催する「IBM環境シンポジウム2010」が仙台市で開かれ、参加した。

毎年全国各地で開かれるのかと思ったら、全国のどこか1カ所で開かれるシンポジウム。今年は仙台だった。

IBM社長、村井宮城県知事のあいさつに続き、星野佳路星野リゾート社長の講演、バイオリン、チェロ、ピアノのトリオコンサート、ともりだくさん。

星野社長の話は以前から聞いてみたかったので、非常に期待して臨んだ。

中身は観光。環境については、星野リゾートが目標とする数値のなかに「エコポイント」というものを含めている、と説明があった。あとで調べてみたらゴミの排出や有機野菜の利用などで環境へいかに配慮しているかを測る指数らしい。

他に、東北大学大学院環境科学研究科長の田路和幸教授の「大型リチウムイオン電池と直流を利用したエコハウス」、そしてIBMグリーンイノベーション事業推進部長岡村久和さんの「IBMの展開するスマートな都市Smarter Cities」を聞いた。

前者は、東北大学が新しく建てたエコハウスに関心があり、田路先生にも興味があったから。後者は「Smarter Cities」という言葉につられて。

エコハウスの方は、太陽電池などが作った直流電流を交流に変換せずに利用する取り組みで、交流への変換によるロス防止という意味で興味深かった。Smarter Citiesの方は、ICTをうまく取り入れて環境にやさしい、住みよい都市空間を作っていこう、という取り組みのようだが、よくわかりづらかった。ただ、IBMという会社が、もうコンピュータの会社ではないんだな、ということはわかった。

全体を通じてよかったのは、トリオのコンサート。なかでも「川の流れのように」は魂に染み入るような演奏だった。

写真は会場の正面でやっていたプラグインハイブリッド車の展示会。充電している様子。充電に時間がかかり、折角充電した電気で走れる距離も短く、普及への道程はそう簡単ではない。しかし、いずれ電気自動車が主流になる時代がやってくるだろう。

2010年6月10日木曜日

自分で登記~家の建て替え(番外編)

家ができた。

最後にしなければならないのは、不動産の登記、不動産取得税の申告である。そして長期優良住宅だったら、固定資産税の軽減申請ができる。

いずれにしろ、不動産を法務局で登記しないとすべてが始まらない。

この登記、通常、プロに頼む人がほとんどだが、自分でやってみた。

調べたら、法務省のサイトに登記作成支援ソフトウェアなどがアップされている。こいつを使ってみた。

実際に法務局に出した登記申請は(1)建物滅失登記(2)建物表題登記、の2点。

(1)はそれまでの登記情報を見ながら書けばできる。問題は(2)の場合。

建物表題登記に必要な書類は①登記申請書(2通)②建物図面と各階平面図(左上図の様式)③所有権証明情報④住所証明情報、など。このうち①は登記作成支援ソフトウェアに入力してプリントアウトすれば完成。③はハウスメーカーから入手した建築確認済証と検査済証。④は住民票。問題は②の建物図面と各階平面図だが、各階平面図はハウスメーカーから入手した図面から250分の1の縮尺で図を描く。建物図面は法務局から地図情報を入手し、これを元に500分の1縮尺の図を描く。

やってみればなんとかできる。法務局には相談窓口も完備しており、丁寧に教えてくれる。

登記が完了すれば、その情報は県税事務所と市町村の固定資産税課に送られ、課税対象となる。市町村では不動産価格を算定するため、現地調査を行う。

プロに頼むのは簡単だが、お金がかかるし、自分でやれば自分の家にさらに愛着がわいてくる。

お勧めである。

2010年6月2日水曜日

在沖米軍の見える化~鳩山政権

鳩山首相が民主党の両院議員総会で、退任表明した。小沢一郎同党幹事長も職を退く。民主党に対する支持率は回復するであろう。

鳩山首相には、その地位でもっとがんばってほしかった。

退陣のきっかけとなった米軍基地問題。沖縄では大きな問題だが、他県ではこれまで「人ごと」だった。それが普天間基地の移転先選定が難航する中、他県もこの問題を考えざるを得なくなった。

ほとんどの人は「うちの県に来てもらっちゃ困る」。ゴミ焼却場や原発のように、必要性は認めるが、自らが住む地域への設置を嫌っていた。

先日の全国知事会議。鳩山首相が全国の知事に、応分の負担をお願いしたのに対し、東京都の石原都知事は、答えを持ってきていない、と途中退席したらしい。一方、大阪の橋下知事は「沖縄の重み」を他県も負担することに言及した。

「なぜ沖縄だけが(在日米軍基地の75%が存在するのか)」。沖縄でよく聞く議論である。他県の人間も、この事実は知っている。しかし、見て見ぬようにしてきたのが実態である。

鳩山政権は、今回の普天間基地移転先選定で、この事実を顕在化させた。「寝た子を起こした」など無責任な論を展開する向きもあるが、顕在化させることにより米軍基地の必要性、存在意義に関する議論が起きることを望む。

今回の辞任は、民主党にとって、参院選には有利に働くであろう。

しかし、日本国民にとってはどうか。普天間問題は解決していない。財政赤字は続いている。景気は低迷したままだ。トップが変わったからといって、解決は難しい。せっかく積み上げてきた「道程」が後戻りしないか。

トップに、政党に、政治に責任をなすりつけないで、国民が自らの問題としてとらえるべきではないか。

2010年5月17日月曜日

FUTENMA

鳩山政権が約束した普天間問題の解決期限が迫ってきた。

新聞やTVを見ている限り、今のところ、5月末の決着は絶望的である。

民主党の関係者や新聞の論調に、普天間問題を必要以上に大きくしてしまった、というものがある。もっと他に重要課題があるのに、ということだ。

しかし、注目を集めたことはよかった。

そうでもなければ、ヘリコプターが落ちても、米軍基地の大半が沖縄に集中しているなんて、誰が気にかけるか。クリントンもオバマも世界最大の海兵隊基地がOKINAWAにあるなんて知らなかっただろう。それが焦点となっている。これは沖縄県民にとっても、他県民にとっても、米国にとっても、この問題を自らの問題としてとらえて考える、よい機会だ。

徳之島の反応が興味深い。米軍基地はいらない、というのだ。他県もそうだろう。沖縄に押しつけてきたのに、みんな知らんぷりを決め込んでいたのだ。

だったら日本に、米軍基地が必要かどうか、もう一度考えればいい。必要なら、それぞれの県が、国民が、応分に負担すべきだ。沖縄1県に任せること自体がおかしい。

ただ単に、「米軍基地はいらない」では困る。安全保障はお上が考えること、ではない。自分たちで理解しなければならない。

考え方として、海兵隊の基地は日本にいらない、というものもある。飛行機ですぐに海を渡れる時代に、距離はそんなに重要ではない、かもしれない。だいたい、なんで日本に巨大な海兵隊の訓練場があるのか。

そんな折、韓国の軍艦が沈んだ原因は北朝鮮の魚雷、との情報が有力になってきた。一発触発してもおかしくないほどだが、今のところ、韓国も米国も冷静に対応している。

すぐ側の海兵隊基地、普天間も、おそらく臨戦態勢を取っているはずだ。

となると、普天間は動かせないのか。

簡単ではない。しかし検討はすべきだ。安全保障と、自分たちの負担を天秤にかけ、日本国民みんなが考えなければいけない。

ただ単に、「反対、反対」はもうやめよう。

写真は2008年2月11日、「少女暴行事件」(告訴取り下げ)で女子中学生が海兵隊員のバイクに乗ったコザ。

2010年5月11日火曜日

作付完了

30坪の作付が完了した。

植えたのは、青シソ、ジャガイモ(男爵、キタアカリ)、ネギ(九条、下仁田)、大根、オクラ、枝豆、ホウレンソウ、小松菜、春菊、人参、ナス、ピーマン(緑、赤、黄)、シシトウ、トウガラシ、トマト、キュウリ、トウモロコシ、インゲン、ツルムラサキ、ゴーヤ、八つ頭、レタス、カボチャ、ズッキーニ、サツマイモ(金時)。荷物置き場のビニールハウスと堆肥(手前のブルーシート)のスペースを除き、埋め尽くした。

こんなに植えてどうするんだ、という問題はあるが、楽しみ。本当のところ、もっと植えたい。

2010年5月8日土曜日

こまつな

小松菜が芽を出した。でもアブラムシに食傷され、痛々しい。アブラムシには牛乳を噴霧するといいらしい。まだ試していない。

ジャガイモは芽を出さない。芽があまり出ていない種イモを植えたのがまずかったのか。

大根、キュウリ、トマトは問題なさそう。

オクラはまだ早かったのではないか、と心配。エダマメは芽を出すだろうか。

ナスとピーマンもたぶん大丈夫だろう。

ゴーヤやカボチャのマルチは用意したが、ズッキーニを失念した。

畑仕事は楽しい。


2010年4月25日日曜日

桜、満開

なかなか咲かず、咲いても雪に見舞われた桜。ようやく満開になった。

日曜の朝、仙台市は青空が広がり、絶好の花見日和。三神峯公園は大勢の人で賑わうに違いない。

まだ花見客が少なく、交通規制も行われていない朝食前。花見に出かけた。

思った通りの満開で、ブルーのバックに花弁のピンクが映える。

2010年4月17日土曜日

桜雪

雪、でした。

折角咲いた桜の花に雪が積もりました。

東北・仙台で4月に雪が降ることはありますが、桜が咲いてから降ることはありません。

なのに雪。ピンクの花も白い雪が重そうです。

もうスタッドレスタイヤを脱ぎ去り、普通タイヤに履き替えています。

これだと車では走れません。

じっと室内でデスクワークをする日になりそうです。

ほどなくして、雪は雨に変わりました。一転して、明日は暖かい日になるらしいです。

2010年4月12日月曜日

畑仕事から離れて1年半。

仙台に移り住み、畑で野菜が作りたい、と場所を探し続けていたが、ようやく巡り合えた。

借りたのは幼馴染の休耕畑。だいたい30坪ぐらいか。日当たりも良く、野菜作りには申し分ない。

すぐにやりたい、と言ったら、トラクターで早速耕してくれた。

あいにくの雨で、なかなか着手できないが、まずはジャガイモを植えたい。

ホウレンソウ、小松菜、インゲン、トマト、キュウリ、オクラ、ゴーヤ、アスパラ・・・。考えるだけで楽しくなる。

非常に楽しみだ。

2010年4月9日金曜日

エコハウス

東北大学環境科学研究科のエコハウスと思われる建物が青葉山で完成していた。

外観はすっきり。木のぬくもりが感じられいい雰囲気である。

環境省の地球温暖化対策技術開発事業(H20~22)として「微弱エネルギー蓄電型エコハウスに関する省エネルギー技術開発」を研究している。

床面積1000㎡で、東北大学が鳴子温泉に持つ敷地で木を伐採して作った同大学初の木造校舎らしい。

実際の環境影響評価はわからないが、外観上は素晴らしい建物だ。

2010年3月28日日曜日

高原を駆けて

東京からの帰り、那須高原で一泊。翌朝、別荘地を走った。

那須高原にはまだ雪が残っていた。

キツツキが木を叩く音が、葉の落ちた林に響く。ウグイスの鳴き声も。

空気は冷たく、さすがに走る人はいない。

夜が明けてまもなくの高原は、走る車も少ない。

牧場の側を通ったら、犬が吠えた。

2010年3月22日月曜日

仕上げはレンガ張り~家の建て替え(14)

駐車場の一部のレンガ工事は自分で手掛けた。

といっても、職人の親方に教えてもらいながら、レンガをカットしていただいて、の作業だが。

駐車場で重い車がのるから、前面に基礎コンクリートが塗ってある。その上に「バラモル」と呼ばれる砂とセメントを混ぜたものをのせた。これも親方が調合した。

その上にレンガを載せていく。色のデザインを考えながら、一つづつのせていく。手間はかかるが、出来上がっていく過程が面白い。

・・・作業終了2日後。内股が痛くなった。1日中、しゃがんで作業を続けた後遺症である。

面白いことは、やはり、大変なのである。

家完成~家の建て替え(13)

待ち望んでいた家がようやく完成。引っ越しした。

この引っ越しが大変。2週間近く経ち、ようやく片付いてきた。

収納が多い家だが、何しろ自宅、実家、単身赴任先、と3カ所の荷物を一カ所に集めたから大変。

最初は段ボール箱の山に埋もれ、寝る場所の確保がやっと。その箱を開け、不要なものを捨てまくり、ようやく生活できるようになってきた。

そんなわけで、ずっとさぼっていたブログの更新をやっている。

2010年3月4日木曜日

最終チェック~家の建て替え(12)

家がほとんど出来、「内覧会」というか最終点検の日が来た。

以前より楽しみにしていた日。家の中に入ると、確かにできている。
頼んだカーテンも掛けられてある。
だが、とくに感動はしない。
太陽光発電や床下暖房など器具類にはびっくりしたが、家そのものは、ただそこにある、感じ。
そんな物なのであろう。
家、とはそのに住んで初めて、歴史、文化ができる。そんな物かもしれない。

この家がよいか悪いか、ではなく、この家に住む人間がいかに努力して、人生を満喫するか、そこが問題。そんな気がする。

2010年2月28日日曜日

900円で33K


本日の出費。金蛇神社のお賽銭100円。お昼代オニギリ3個200円。お風呂代600円。しめて900円。
お風呂代がちょっと高かったなー。

今日は南仙台走友会のロング練習会。9時に出発地点、名取の極楽湯に到着したら、まさに走り出したところ。あわてて車を駐車場に止めたら、幸い、車のキーのロック確認で戻ってこられた方がいて、付いていく。

まずは名取スポーツパーク、通称NASPAを目指す。山の上にあり、坂を登る。

まだ寒いのにテニスの練習で集まった人が一杯。

登った坂を下り、今度は金蛇神社。お金が貯まる、という御利益のある神社。お賽銭を上げ、お金というより、家内安全を願う。

次いで岩沼グリーンパークへ。破綻した例の社会保険庁の施設だ。

登り坂。結構急。それだけに申し訳なかったが、マイペースで登った。

ついたらちょうどお昼時。ここでお昼。

走っている途中にしっかり食べた経験はないので、皆さんどうするのかなー、と伺っていると、普通に大盛りラーメンなどを頼む。

消化がいいとは思えず大丈夫かな、と思ったが、走りながら聞いたら、慣れの問題らしい。

私は用心してオニギリ。もっとも海苔の粉末がかけてあったりで、こちらもあまり消化はよくないか。

再び走る。とにかくゆっくり。

途中、信号などでは停止。

走っている途中に止まると、疲れて走れなくなると思っていたので、これも新鮮。どうも止まっても問題ないようだ。

着いたら5時間。GPS機能の付いた装置を持っている人によると、33K強の距離。

車を止めた場所が極楽湯。当然のように極楽のお湯を味わった。

この入湯代が600円。回数券を持っていれば450円になる。

一人だったら、こんな長い距離はなかなか走らないし、道も知らないから表通りになってしまうが、今日は梅の花、椿の花、マラソンの話・・・、いろいろ楽しませてもらった。

お風呂で極楽。家帰って、発泡酒で満足。充実の一日となった。

写真は、今日の行動とは全く関係のない庭のモデル。先日の東北ラン展で優勝した作品。

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2010年2月26日金曜日

ふぁん、ふぁん、ふぁん~家の建て替え(11)


リビングにファンが付いた。

 これは飾りではない。温まって天井に上がってきた空気を再び床に押し戻す大事な空気循環機だ。

 リビングには天井に5.1ch用のスピーカーも埋め込まれた。

 5.1ch対応のDVDをかけるのが、今から楽しみである。

 このファンや主な照明はすべて、ネット経由で購入。建築メーカーに頼んだ方が安いLDE照明などは建築会社に依頼。

 本当は外構なども自分でやりたかったが、同居人の強い反対があり、断念した。

 いよいよあと1週間ほどで完成。2週間後には引き渡しの段取りである。

 これが別のメーカーだったら、まだ基礎工事が終わったころ。ハウスメーカーを決めたら、すぐ建った方がよい。つくづくそう思う。
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2010年2月17日水曜日

覆いが取れた~家の建て替え(10)

一部を残し、家の周りの足場が取れた。残る足場も、設計と異なっていたサイディングの張り付けが完了次第、撤去される。

色のバランスはイメージ通り。山形の金山町に伝わる家を模した飾り柱が締りを持たせている。

大工工事は完了。電源用機器の配置などが始まった。

今後はテレビをアンテナをどうするか、暖房器具をどうするか、など決めなければならない。

出費は抑えたいし、テレビや家具がないと困るし、悩みどころだ。

2010年2月15日月曜日

大工工事完了~家の建て替え(9)

大工さんがやる工事が近く完了する見通しになった。

既に床張りは終わり、各部屋の間仕切りもできた。居間の天井の梁も黒く塗られ、メリハリが効いている。ウォーキングクローゼットや本棚なども出来上がりつつある。

家の周りを覆っている青いメッシュのカバーと足場は、2、3日で取り外されるという。

基礎工事が始まってからここまで2カ月強。予定のノルマは着々とこなされていく。

今後は壁紙など内装工事が始まる。それが済むと照明器具やカーテンの取り付け。同時に駐車場や玄関周りなど外構工事が進む。

あと20日ほどで最終チェックができる見通しだ。

今日は追加工事分の契約書にサイン。同時に外構工事の見積もりについて打ち合わせた。

当初予定額より、わかってはいるが、相当膨らんだ。

2010年2月13日土曜日

あぁ、まつしまやー、まつしまや

友人家族が来仙。一緒に松島へ行った。

松島は、ハーフマラソンに出るし、気になるカフェがあるので、時々行く場所ではあるが、「観光」という形はかなり久し振り。

まず、小型遊覧船40分のコースに乗り、島巡り。
小さな島の一個いっこに名前が付いている。エビス島、よろい島、金島・・・。

写真は仁王島。てっぺんにウミウが止まっている。その主のおかげか、島は糞で真っ白だ。

続いて瑞巌寺。遊覧船乗り場で馬鹿な質問をした。

「あの神社はどのへんですか?」

松島に有名な神社はない。松島は、「まつしま~の、さの~瑞巌寺~」の歌で有名な寺町だ。

なのにこの質問。

瑞巌寺の開祖は平安時代、天長5年(828)にさかのぼるという。注目されるようになるのは、伊達正宗が現在の大伽藍を建築して以来だ。正宗の正室の墓も裏手にあり、観光客で賑わっていた。

瑞巌寺は現在、本堂を修理中で、本堂を見ることはできない。

しかし、そのおかげで、本堂に安置されて普段は見れなかった本尊や正宗の位牌を拝見することができる。

これら本尊を公開している庫裡も大きな柱を組んであり、見応えがあった。

本堂の修理が終わるのは平成28年3月。6年後だ。

瑞巌寺を見た後は、「かき小屋」へ。焼きガキを食べに行った。自分で生のカキを炭火で焼いて食べるシステム。すごく混んでいて、500円のかきご飯は既に完売。30分並んで、ようやく席に付けた。

盛りカキ20個で1500円。周りの人を見たら、1人1盛りを注文してる。1盛り分減らして5人分4盛りを頼んだが、これが多かった。食べると思った高校生2人がほとんど食べない。

友人と二人で無理して食べたが、それでも食べきれない。本当は持ち帰ってはまずいのだろうが、20個近くを袋に入れた。これはその晩、卵を絡めたソテーになった。

正直、こちらの方がずっとおいしかった。

友人家族も、普通のレストランの方がよかったかな。

2010年2月9日火曜日

TV取材

 TVが大学へ太陽熱発電の取材に来た。

 「半導体利用の太陽熱発電では世界初」なんて案内を出したし、なってったって「絵」になるから、注目が集まって当然。予測通りの結果。

 それにしても晴れてよかった。これが曇ってたら、「絵」にならない。太陽を追尾するシステムも動かず、パネルが上を向いて停止してしまう。

 この日開かれたワークショップでは、日本と中国の研究者がお互いにこれまでの研究成果を発表。この中で中国側は、5キロワットの太陽光と太陽熱のハイブリッドシステムを建設すると言っていた。

 5キロワットはすごい。太陽光だったら珍しくないが、太陽熱も加えたハイブリッド発電となると、この規模はおそらく世界初。

 補助金も相当出るらしいから、中国の底力を感じる。


2010年2月5日金曜日

内装工事~家の建て替え(8)

フローリングの張り付け、風呂桶の取け・・・そんな諸々のことが同時並行的に進んでいく。様々な職人さんが様々な仕事をこなしていく。これは素人にはなかなかできないな、と納得させられる。あと数週間で本当に家ができるのか、まだ半信半疑だが、プロがやっているのだから、たぶんできるのであろう。

おそらく1週間後に見たら、また違う光景になっているのだろう。
暗い、暗いと思っていた1階だが、日が延びてきたせいか、意外に明るい。外側の覆いを取ったら相当明るくなるのでは。

いろいろ反省点も多いが、当然ながら、出来上がるのが楽しみだ。


2010年2月2日火曜日

農商工連携バスツアー

 東北経済産業局が主催、三菱総合研究所が事務方を務めるバスツアーに参加した。

 昼代以外はすべて税金で賄われるという美味しいツアー。観光旅行ではないが、トマトの水耕栽培、ブランド豚の農家レストラン、米粉の消費拡大を図る農業生産法人の3カ所を見て回る、なかなか楽しい1日となった。

 最初に訪れたのは大衡村の有限会社未来彩園。オランダ製のガラス温室でトマトを水耕栽培していた。ここでは4人の社員と16人のパートがフル稼働。約3カ月でできるトマトを収穫していた。元々は建設会社で、完全な異業種参入、とのこと。社長の一言「これみんな借金の塊ですよ」がずっしり響いた。

 続いて訪れたのは、「伊達の純粋赤豚」ブランドで人気沸騰中、登米市の有限会社伊豆沼農産。豚の生産農家が基本だが、農家レストランや直売所を持ち、鹿児島や香港にまで販路を広げている。香港では鹿児島の黒豚が100グラム45ドル、米国のオーガニックポークが50ドル。「伊達の純粋赤豚」はなんと60ドル。伊藤社長は「香港で評判になってると東京の新聞が書くと国内で評価される」のを狙っている。今でこそ流行の農工商連携についても「農家だったが、必要だったからハム作りに取り組み、販売もしている」と自然体を貫く。

 最後に訪問したのは、同じく登米市の有限会社登米ライスサービス。自前で水田を持つほか農家とも契約し、120ヘクタールの田畑で栽培している。米の販売をメインに、米粉も取り扱い、販路拡大のため、味噌製造免許や菓子製造免許も取得した。

 登米ライスサービスでは米粉で作ったロールケーキをごちそうになったが、食感もよく、なかなか味わいがあった。



2010年1月31日日曜日

555で444

名取スポーツパークで毎年この時期に開かれる「ナスパ・クロスカントリー大会」に参加してきました。10Kの部です。いただいたゼッケンが左のゾロメ。結果は47分26秒。これをキロ当たりで見ると、4分44秒。これまたゾロメ。ちなみにこの日のゲストは「ラーメン、つけ麺、僕イケメン」の狩野英孝さん。狩野さんの誕生日もまた、82年の2月22日生まれ、とゾロメです。ついでに言うと、昨日1月30日は年末まで333日の日でした。

2010年1月23日土曜日

外観~家の建て替え(7)



上棟式が終わり、外壁や床の工事が始まった。
大量の資材が運び込まれ、外壁、床が次々と打ちつけられていく。関の扉も付けられた。1階の壁も取り付けられていく。同時に、床の据え付けも始まった。

2010年1月22日金曜日

上棟式~家の建て替え(6)

ようやく上棟までこぎつけた。最近は上棟式をやらない人が多いらしいが、滅多にないことだから、と大工さんに祝詞を挙げていただいた。大工さん以外にハウスメーカーの現場監督、設計、営業の関係者、それに身近な親戚が集まった。祭壇に季節の野菜と酒、塩、米を飾り、大工さんが四隅に酒と塩をまく。祝詞を挙げ、最後に施主が「最後のピン」を金槌で柱に打ち込み、儀式は終わった。屋根の上から餅や小銭をまくことはしなかった。それでも、1つのけじめが終わり、なんとなく安心。解体からほぼ1カ月半。完成までの折り返し地点を越えた。

2010年1月17日日曜日

美しき土壌動物たち~1mm以下の世界(3)

  
 
 

クマムシ、そしてセンチュウ。クマムシは熊のような形をしているからクマムシと呼ばれる。
センチュウはネコブセンチュウ、松食い虫など害虫の代名詞のように言われるが、堆肥を微生物が分解し、その微生物を食べ、やがて養分に変えるのもセンチュウ。センチュウなしに、この世界は成り立たない。
ところで、連作が悪いと言われる原因を作るのもセンチュウ。連作すると、その作物が好きなセンチュウが増え続けるからだ。別の作物を植えると、前のセンチュウが死滅するから、連作による被害を防ぐ。
やはり害虫?

2010年1月16日土曜日

パン作り

パンを作った映像が出てきた。
授業でフードビジネスを学ぶ課程。天然酵母パン。
パンの生地は先生が作っていたため、やったのは形作りだけ。
それでも難しい。
出来上がったパンはうまかった。
黄色いのは溶かしバター。これをチョコ入りパンの表面に塗って行く。
今、思い出しても風味がよみがえる。

どんと祭

1月14日の夜、近所の多賀神社で、しめ縄や松飾など正月で飾ったものを燃やす「どんと祭」が開かれた。神社の境内で火が焚かれ、午後4時ごろから始まり、深夜まで燃え続いた。
「どんと祭」に来るのは小学時代以来ぐらい。
同じ神社に同じイチョウの木があって、同じお祭りをやっている。
当たり前の話だが、不思議な感じ。
自分は歳をとったが、この神社の歴史から見れば一瞬か。
あのころに比べ、人が多い。
当時は餅を持っていき、焼いて食べたような。
ところが今は、人であふれかえり、それどころじゃない。
餅を焼くなんて悠長なことはしていられない。
午後8時ごろ行ったら、参拝客であふれ、火を見るところまでたどり着くまでに1時間以上かかりそうな混み具合。
一度戻り、酒を飲みながらDVDを観賞し、いいかげん酔った夜の11時ごろ、参拝の列に並び、境内に入った。炎はまだまだ燃え盛っていた。
このお祭り、元々は仙台藩に岩手の方から酒造りに来ていた南部杜氏が始めたものらしい。
有名なのは大崎八幡神社。上半身裸になった男たちが火を囲む。行ったことはないが、今年も裸の男たちが正月飾りを燃やしたに違いない。

2010年1月10日日曜日

躯体工事~家の建て替え(5)

上物の工事が始まった。
初日で、これができた。
あと2日ほどで屋根も取り付ける。
早いものだ。
工場でカットした柱を図面にそって、あたかもプラモデルかPCを組み立てるように組み立てる。
現場では、ノミとかカンナ、ノコギリは使っている様子はない。
ただ電動クギ打ちの音が響く。

にわかに家らしくなってきた。
従来からの家造りなら、骨組みができた段階で、建前、上棟式なんだが、最近はいろんなものを一気に組み立てていくから、もっと後になってから上棟式をやるらしい。

しかし北側の敷地。1階部分に日は差さない。
住宅密集地だからしょうがない、か。

2010年1月8日金曜日

美しき土壌動物たち~1mm以下の世界(2)

    
2番目の写真、足が3つ、触角が2つ見えている奴はトビムシと呼ばれます。
他はダニの仲間たちです。クモのように足が8つありますが、クモとは違う種類です。
これらはアルコールに漬けられて死んでいますが、1mm以下の小さな体で、他の土壌動物を捕食したり、植物に寄生したりして生きていました。
形も様々。小さなちいさな剛毛が生えていたりして、凄いですね。