2009年12月28日月曜日

基礎工事~家の建て替え(4)

地鎮祭が終わって始まった基礎工事。まずは地盤改良の杭打ち。地中の固い部分までコンクリートの棒を埋め込む。直径20cmのやつが59本もあった。続いて基礎作り。積水ハウスの特徴は、この基礎に模様が付いている。最後に前面にコンクリートを流し込む、はず。
ここまでの段階で配管工事も完了。写真は、その配管工事をやっているところ。寒い中、ご苦労様です。
地鎮祭の段階では、狭いなー、こんな狭い所に住んでたの、と見えたが、基礎が形作られてきたら、少し大きく見える。
この後は来年。いよいよ上物の工事が始まる。

2009年12月19日土曜日

雪の朝

冬至前。なかなか夜が明けない。午前5時半に家を出ると、あたりは真っ暗。晴れていれば、星が見える。
そんな中、ゆっくりとジョグに出る。
昨朝、今朝は雪。昨朝は5ミリほどの冠雪で、つるつる滑り走りづらかった。
今朝は1センチほど。やわらかく、凍ってなく、走りやすい。
雪明りで土手を走り、新雪に足跡を付ける快感を味わっていた。明るくなってきたら、先客がいたことが判明。
早朝から、真っ暗な土手を歩く(走る?)人がいたのだ。

写真は10キロ強ある練習コースの終盤風景。午前7時前。もう少しで太陽が昇る。






2009年12月17日木曜日

カニムシ

「栽培土壌マネジメント特論」という授業で、1週間前、林の土を採取した。
目的は土の中にいる虫を調べるため。
その土を網にのせ、3日後の月曜日、採取。アルコールに漬けプラスチックのケースに保管した。
その内容物を採取から1週間後の今日、顕微鏡で観察した。
中は、微小な虫の宝庫だった。
写真はカニムシ。他、左下にアブの幼虫。カニムシの右側の鋏の下にはトビムシ、右上にはダニ。多くの虫がいる。
驚きである。土の中に、これだけ形がはっきりした微小動物がいるのである。
写真は、うまく色が出ていないが、顕微鏡で見ると、結構、美しい。他に、ヒメミミズ、甲虫、などがいて見ていて飽きが来ない。
カニムシははっきりとした形状を成しているではないか。
大きさは1mmほどか。それでもしっかり存在している。
ダニも足があり、口があり、しっかり動物として生きている。
写真の対象物はアルコールで死んでしまっている。
が、土中では生きていたのだ。素晴らしい。

うれしいこと

きょうは4年生の卒論のお手伝いをした。
研究室を訪れたら「○○さんの手伝いをしてほしい」と言われ、言われるがままに実験室に。○○さんは熱を電気に変える実験をしていた。その電気を携帯電話に充電させる部分で、うまくいかないらしい。
やっている通りに接続したはずだが、うまく、いった。
○○さんは望外の喜び。
こちらは非常に恐縮してしまうが、うれしいこと、はうれしい。
単純なことをやっただけだが、なんか人の役にたったようで、うれしい。

2009年12月15日火曜日

酒蔵見学

今日は塩釜の造り酒屋「阿部勘酒造店」の工場を見学した。
小さい蔵元で、近代的工場だが、歴史は古い。創業は享保初年(1716年)。塩竃神社への御神酒御用酒屋が酒造りの原点という。
ブランドは「於茂多加 男山」。最近は宮城県内向けは「於茂多加」、県外向けは「阿部勘」として売り出している。出荷本数は少なく、問屋を通さず、酒屋さんに直接販売している分が多い。
ちょうど、酒米「亀の尾」を使った純米吟醸を造っていて、機械で圧縮して搾るお酒と布に入れたお酒が垂れてくるのを待つお酒の2種類を試飲させていただいた。
味は垂れてくる方に軍配。写真がその窯。中に、搾りを待つお酒が詰まった袋が吊るしてあるので、別名「首吊り」ともいうらしい。

杜氏の方に「どうやって毎回、同じ味を出すのですか?」と聞いたら、酒米の出来は毎年変わるので、その都度、それに合わせて仕込むという。
結局よくわからなかったが、要はプロの腕、ということか。
毎回大変で、「これでいい」という終わりはない、とのことだった。

2009年12月13日日曜日

いのちをいただく

自分で野菜を作り、自分で鶏を育て、自分で料理する。
それを実践したい。
そんな思いがある。
しかし、経験はない。
山形県山辺町の1500坪の農園で鶏を飼うSさんに、鶏を絞める際は見せてほしい、とお願いした。
Sさんは最初、嫌な顔をしたが、「将来、(鶏を)自分で育て、自分で料理したい」と理由を説明すると、了解してくれた。

そのSさんから先月、電話があった。12月に鶏を絞めるから来るか、と。絞めた鶏はクリスマスに間に合うよう燻製にするから、10日ごろから15日までがよい、とも。
日程を調整し、今日13日、山辺に出かけた。
10時の約束だったが、9時半ごろ着くと、Sさんはすでに4羽の鶏をつるし、うち1羽の毛をむしっていた。
以下は鶏をさばく手順。

飼っている鶏を昆虫用の網で捕獲し、足を縛り、逆さにつるす。
鶏の頸動脈を包丁で切り、血を落とす。
その鶏を80度のお湯に20秒ほどつけて、毛をむしりやすいようにする。
この際、何度か上下し、毛元にお湯がよく浸かるようにする。
ただし時間が長いと、煮てしまうことになるので注意。
お湯につけた鶏は毛がむしりやすい位置に逆さにつるし、毛をむしる。手でむしれない場合はピンセットを使う。最後、細かい毛はバーナーで焼き切る。
次に関節の筋を切り、腿肉、手羽先を切り分ける。さらに心臓、肝臓、砂肝を取り、他の内臓や首、足は捨てる。
骨はガラとして取っておく。
腿肉や手羽先も骨と肉を切り分ける。

以上で終了。
魚料理と違って、まったく臭くない。
鶏肉自体は見慣れているので、それほど違和感はない
違和感が若干あるとすれば、見たことがない内臓を目にすること。
先ほどまで生きていた鶏だから、食べた直後の野菜なども出てくる。
作業中は、鶏の油で包丁が切れなくなるから、包丁は何度も研ぎ直す。
寒い外での作業で手がかじかむが、鶏のいのちをいただくのだ、と思うと、そんなことはどうでもよくなる。

そう。我々は、こうして、いのちをいただいているのだ。
その行為を知り、いのちの大切さを知る。
それはとても大事なことである。

帰り、Sさんから1羽分の肉とガラをいただいた。
家に帰ったら、父親が張り切り、調理に取りかかった。
これはとても珍しい。
昔々、自分で鶏を絞め、料理した経験があるからだろう。
砂糖、酒、醤油で味をつけたスープはとてもおいしかった。

写真は烏骨鶏。真っ白な羽をむしったら、黒い皮が現れた。

2009年12月12日土曜日

日本料理の作法

「日本料理の作法」というのを学びました。
料亭には何度か足を運んでいますが、「日本料理の作法」を学んだ経験はありません。
今回は、襖の開け閉め、座布団の裏表の見分け方、お椀の持ち方、などを教えていただきました。
写真は教師による卵焼きの実践。土鍋でのご飯の炊き方も教えていただき、ご飯、卵焼き、味噌汁、そしておしんこを食べました。
お椀の具を食べる時、汁を飲む時、それぞれ別に行うって、知ってます?
その度に、箸を箸置きに置くのです。
今回は、襖の開け閉めから始まり、お椀の持ち方、座布団の動かし方、など間違いが多く、大変でした。
これらを知っていれば、体得していればいい、でしょう。
しかし、やはり作法よりも、“中身”の方が大事、そんな気がしました。
料亭では、当然ながら、作法よりも「話」が大事なのです。
「話」がうまく進めば、作法に左右されることはありません。
それでも、「作法」というルールを知っていると、面白いような、そんな気がしました。
ゴルフでも、マラソンでも、ルールがあります。ルールにのっとりゲームを進行させるから、面白いのです。
作法を守っている方が、楽しいことは、言うまでもありません。

地鎮祭~家の建て替え(3)

家の解体が終了し、地鎮祭が行われた。これからの工事の安全と関係者の安寧を神様に祈った。
前夜からの雨で、敷地はぬかるんでいた。雨は地鎮祭が終わるころに止んでいた。
式は、神主さんの指示に従い、神様に祈りをささげ、設計関係者が草刈り、施主が鍬入れ、工事関係者がスコップによる工事開始の儀式を行い、最後に直りとしてお神酒をいただいた。
工事の解体開始から1週間。地鎮祭まで間に合うか、と少し心配したが、さすがにプロ。あっというまに解体、片付けを行い、地鎮祭にたどりついた。
今後、基礎工事が始まる。この辺りは4m程度下にならないと固い地盤にならないらしいから、4m以上杭を打ち込む。その数、50本程度。それが済んで、あとどうするんだろう。

建物がなくなった敷地はとても狭く見える。60坪以上の土地だが、狭い。こんなとこに住んでいたのだろうか。

2009年12月10日木曜日

太陽熱発電

この白く輝くのは平面のフラクタルレンズ。このレンズで太陽の熱を集熱し、熱を電気に変換する素子がその背後に控えている。その数100枚。写真ではうまく見えないが、両側に太陽光を電気に変える太陽電池も備えられている。
この面は、写真ではほぼ垂直だが、太陽を追尾し、常に正対する仕組み。
朝になれば東を向き、日中は南、夕方は西に向く。
太陽光発電同士で比べても、追尾しない方式に比べれば、倍以上の発電率を誇る。

この太陽熱発電の実験システムが12月10日、宮城大学に完成した。

各パーツ自体は専門家が作ったものだが、組み立ては手作り。熱電素子の周りを耐熱石綿で囲んだり、フラクタルレンズを固定したり、私も少しだけかかわった。

線の接続はまだ。終わったら、いよいよデータ採取が始まる。

2009年12月9日水曜日

NAHAマラソン2回目終了

NAHAマラソン2回目のメダル獲得が、終了した。
「2回完走」と書きたいが、今回も半分は歩いていた。
中間地点までは走ったが、25キロぐらいからはほとんど歩き。
とてもじゃないが完走とは言いがたい。
それでも6時間15分の制限時間内にグランドに戻り、ご覧のようなメダルをいただいた。
制限時間の閉門の知らせを聞いたのは、グランドを歩いているとき。気持ち悪くて、歩くのもやっとだった。
そう。気持ち悪かった。周りの人は筋肉痛や足の痛みなどで走れなくなるようだが、それはなかった。
マラソン前々日、そして前日に眠れず、当日もスタートまで3時間を切ってから朝食を摂ったりして。それらすべてが悪かったのだと思うが、何かが胃の中に残っているようで、調子が悪かった。
途中、走りながらおにぎりをほうばっている人がいたが、信じられない。

しかしNAHAマラソン。沿道の声援は最後まで途切れなかった。
YMCAでランナーにY、M、C、Aのポーズを取らせ、小学生のエイサーがリズムを響かせ、懐かしいグループサウンドが応援歌となる。
提供物も面白い。水、塩、バナナ、オレンジ、レモン、氷、黒砂糖。この辺は普通だと思うが、なかにはおにぎりもあった。さらにはオリオンビールと煙草も。これも提供物?。

今回参加したのは3万人。うち2万人が42.195キロを「完走」した。
リタイヤ率が高いのもNAHAマラソンの特徴らしいが、お祭りの一種と思えば、参加者が多いのはいい。
でも。限界だろうな。真っ直ぐ走れない。走ろうとすると、歩いている人にぶつかってしまう。

調整失敗のNAHAマラソン。来年こそは5時間切りで走りたい。

2009年12月4日金曜日

引っ越し~家の建て替え(2)

アパートに引っ越した。
いざ引っ越すとなると、いろんなものが出てきた。
小学校時の通信簿やら賞状、教科書・・・。
簡単に捨てられない物としてはホルマリン、コールタール。
ホルマリンは薬局に処分を依頼した。
コールタールは親戚の人が持って行った。
その他、トイレ用の殺虫剤も出てきて、庭の流しに捨てたら、あたり一面が臭くなった。この流しは古い設備で、下水管ではなく、雨水口につながっていたのである。あわててストップ。残りはトイレに流したが、雨が降るまで2日間ほど匂っていた。
引っ越し屋さんはさすがに早い。あれよあれよという間に荷物をアパートに運んだ。
アパートへの荷物を運び終えると、コンテナ預かりの分を運び出した。
これも早い。2カ所向けの引っ越しを続けて進めたが、午前中で片付いた。
残念ながら、へそくりの類は出てこなかった。
母親が失くしたという指輪も行方不明のまま。
ただ押し入れに100円玉が落ちていた。

2009年11月30日月曜日

チョコレート、そして飴細工


今日の授業は、チョコレートと飴細工。
チョコレートでは、スイート(ビター)チョコをテンパリングする技術を学んだ。テンパリングとは、チョコレートの融点(融ける温度です)を33度ぐらいにする技術です。
チョコレートを鍋で溶かし、53度ぐらいまで上げ、次に水にぬらした布巾の上で26度ぐらいまでクールダウン。その次に、32度ぐらいまで再び上げます。この32度ぐらいまで上げるときは、ドライヤーを使います。プロは、ドライヤーを使うそうです。
それが終わったら、型入れです。
型入れが終わったら、冷蔵庫で冷やします。
写真のチョコは、ちょっと失敗。ブルームと言われる灰白色ができています。
これが入る場合は、融点が33度にはなっておらず、もっと低い温度で融けだしてしまいます。
でも、食べたら、普通に美味しかったです。

そして飴細工。これは難しかった。写真は一応、「蝶」なんですが、溶かしたパラチニット(砂糖)を型の上に置いた透明のシリコンシートの上で、絞り出す。蝶の絵を描く。これを手早くしなければならない。
なにしろ融けた飴。時間が経つと固まってしまう。
何度も、何度も失敗し、ようやくできた。
ところが、撮影が終わった途端、羽が取れてしまった。

2009年11月28日土曜日

解体お祓い~家の建て替え(1)

1963年から46年間お世話になった自宅を建て直すことになった。老朽化や家族構成の変化などが理由。建て直す、つまり家を解体する前に、お世話になった家に感謝を込めて神式のお祓いをしていただいた。神棚の前に座り、神主さんの指示に従って礼をする。その後は、各部屋、家の四隅でお祓いをしていただいた。

建築メーカーを決めるにあたっては、多種多様なモデルハウスを見た。
東日本ハウス、ウンノハウス、四季工房、スウェーデンハウス、一条工務店、北洲ハウジング、大東住宅、スモリ工業、住友林業、積水ハウス・・・。
一応、木造建築ということを決め、断熱にこだわった。
営業マンの積極さ、知人というしがらみ、提案内容などから、4社に絞って見積もりをもらった。
東日本ハウス、ウンノハウス、住友林業、積水ハウス、である。
結局決めたのは積水ハウス。営業マンの柔軟性と納期の早さが決め手である。
いずれの会社もよい営業マンで、家の作りも悪くなさそうだった。
実は住友林業で9割方決めていた。
他社からは積極的な提案があるのに、積水ハウスからの提案はなかなかなかった。
それが積水ハウスに変わったのは、信頼感、かもしれない。
様々な住宅を見ていく中で、間取りのイメージはどんどん変わっていく。
ほとんどのメーカーは、ある程度固まって行くと、まったく違う発想はなかなか出てこない。
それが積水ハウスの営業マンは、簡単に違うアイデアを提供してくれた。
住友林業に申し込む、とほぼ決めていた前の晩、積水ハウスからようやくCADで描いた提案が出た。
それを説明する営業マンの姿勢に、興味を持った。
積水ハウスの営業マンはどんな“変化球”を投げても、きちんと取って返してくれるに違いない。
そんな気がした。
また納期も早かった。同じ時期のオーダーなのに、住友林業の引渡は6月上旬。これに対し、積水ハウスは2月末。どうせなら早く住みたい。これも決め手につながった。
あれほどこだわった断熱なのに、気がついたら、関心を持っていなかった。


これから3カ月半の借家暮らしが始まる。冬を迎え辛い。なんとかしのがなくちゃならない。

2009年11月25日水曜日

味噌蔵

県南部の味噌・醤油屋さんを見学した。
小さな味噌・醤油屋さんだったが、品数がすごい。
仙台味噌は熟成された赤味噌、と信じて伺ったら、赤味噌はもちろんだが、白味噌や、飲食店からの注文に応じた味噌、醤油を作っていた。
それどころかドレッシングや味噌ベースの発酵飲料(清涼飲料ではない)まで。工場内には、ちょうど旬のゆずの香りがただよい、とてもよい雰囲気だった。
こちらの工場では、地元産にこだわり、地元の食材を探し、次々と新商品を生み出している。最近の価格競争に付き合っていたら、生き残っていけない、という。
家に戻り、いただいたバジルのドレッシングをサラダにかけた。コクがあり、風味があり、とてもうまい。近所のスーパーですぐに手に入らないのが残念。

2009年11月21日土曜日

パン作り

前回は「ワインのテイスティング」。今回は「パン作り」だった。そして次回は「チョコレートと飴作り」。
これ、なんだと思いますか? 実は、大学院の正式な授業。フードサービスの実際を学ぶのが目的。
教えてくれる先生は、ソムリエ、パン職人、などそれぞれの分野のプロ。こっちは素人で、わずか3~5時間程度の時間だから、教える方は大変だろうが、習う方にとってはとっても贅沢な時間。
写真はルヴァン(自然発酵種)、つまり天然酵母を使ったパン。左下がチョコチップをふんだんに混ぜた「ヴィエノワーズ・ナチュール・エ・ショコラ」。その右側が表面にグリュイエールチーズをまぶした「パン・オ・フロマージュ」。左上が「パリジェンヌ・バケット」。これら以外に「パン・ド・ミ」、いわゆる食パンを作った。
実際に生地を伸ばして形を作ったのは「ヴィエノワーズ・ナチュール・エ・ショコラ」と「パン・ド・ミ」で、フロマージュとバケットは先生が作る実演を見ていた。
生地自体は先生が前日から寝かしていたもので、焼いたのも先生。味は当然、絶品だった。

2009年10月24日土曜日

32K

12月のNAHAマラソンを前に、LSD(ロング・スロー・ディスタンス)、つまり長くゆっくり距離を稼ぐトレーニングを試みた。
写真は仙台空港の滑走路。離陸直後の飛行機を撮ったつもりが、何も写ってなかった。
この仙台空港まで15キロ。空港をぐるっと回って戻ってきたら、32キロになっていた。
今日はこの撮影やコンビニで買い物をした時間10分強を含んだ時間で、4時間弱。キロ当たり7分10秒。フルマラソンに換算すると、5時間ちょっと。
本番では5時間を切りたい。もう少し早く走る必要がある。しかし、いつもレースになると早くなるから、まあなんとかなるだろう。
少し、自身がついた。

2009年10月23日金曜日

カッピング

コーヒーの味の良しあしを決めるために、「カッピング」という判定法を用いる。同じ荒さで引いた豆の粉に熱湯を注ぎ4分。それから膨らみ加減を見て、匂いを嗅ぎ、カッピング用スプーンで「ヒュー」と音を立ててコーヒーをすすり、味を確かめる。何度も繰り返し、コメント。オレンジの香りとか、プラムの酸味がする、などと表現する。

写真はニカラグアから高松に来たコーヒー農園主の皆さん。カッピングで、味を確かめている。

素人には、その違いがわからない。豆を見れば、明らかに違うが、香り、味が、どうもよくわからない。スペシャルティーコーヒーはどれも単純に、うまい。

SCAJ

東京ビックサイトで開かれた「SCAJ2009」に参加した。SCAJは日本スペシャリティーコーヒー協会。このSCAJが年に1回開く催し物がこれ。世界大会への出場権が与えられる「ジャパン バリスタチャンピョンシップ」や韓国、台湾など海外からも参加する「ワールドサイフォニスト チャンピョンシップ」などの競技会も会場で開かれた。写真は「ジャパン カップテイスターズ チャンピョンシップ」。利き酒のように、コーヒーの名前を当てている。しかも、いかに短時間に判定するかを競っている。

今回は初めての参加で、よくわからないままウロウロしたが、帰ってからパンフレットを見ると、なかなか興味深いセミナーが数多く開かれていたようだ。理論とカッピングを講習する「スペシャルティーコーヒーセミナー」や焙煎機の説明会、産地の最新情報などなど。来年は時間を取って、是非じっくり参加したい。

2009年10月12日月曜日

景観を守って~大江町

「ランドスケープ・デザイン」という空間デザインの授業の一環で、山形県の大江町へ出かけた。
宮城県登米市の景観懇話会の委員を大学の教授が努めている関係で、学生が同席させてもらったもの。
大江町は2007年4月に景観法に基づく景観行政団体として認定され、街並みや歴史的建造物の保存に取り組んでいる。今回はそれを見て、また大江町の方の話を伺うのが趣旨。
しかし、大江町ならではの街並みを発見できなかったのも事実。
役場の人の苦労にもかかわらず、「なぜ景観を守る必要があるの?」という住民が多いという。
景観を守るには住民の賛同が不可欠だし、金もかかる。
中途半端だと統制が取れない。
トレードオフだ。

2009年10月7日水曜日

CS仙台開催まであと1勝ー楽天

東北楽天ゴールデンイーグルスが好調である。
球団創設5年目にして初の上位進出。それどころか今日のロッテ戦勝利で、金曜日のオリックス戦で勝利すれば、本拠地、仙台でのクライマックスシリーズ開催までこぎつけた。
7日夜の試合終了時点でパリーグ2位の楽天の勝率は0.543。これに対し3位のソフトバンクは勝率0.529。もしソフトバンクがただ1試合残っている11日の楽天戦に勝てば0.532が最終勝率となる。しかし楽天が次の試合、9日のオリックス戦に勝てば、残り2試合負けたとしても最終勝率は0.538。ソフトバンクに最終勝率で0.006上回る計算になり、2位が確定。つまり、本拠地仙台でのクライマックスシリーズ開催が決まる。
今期で引退が決まっている野村克也監督への花向けができる。
というより、「100万都市・仙台」といっても、元々地味な東北の街。自己主張を嫌う東北人が、「おらが街の球団が認められたんだ」と控え目な満足感に浸り、じわ~っと盛り上がりを見せ始めた。
「CS」と言ってもピンと来ないが、「CSに勝てば日本シリーズ」となればわかりやすい。
楽天の勝利は、プロ野球にまったく関心がなかった人まで巻き込んで、仙台の街を大いに盛り上げている。

写真は、楽天とはまったく関係がない、千葉県にあるパン屋さん2階のランチ。山盛りのパンが出て、食べきれない分は袋に入れて持ち帰れる。

2009年9月21日月曜日

キノコ採り

山形県西川町の山中に、キノコ採りに出かけた。
結果は、小さなマイタケ1株とナメコ1袋(2キロ程度?)にサンゴハリタケという白いキノコ少々。あとモダシというのを少しだけ採ったが、虫が多いので捨てた。
キノコのシーズンにはまだ2週間ほど早そうである。
キノコ以外ではヤマブドウとミズという山菜の実。
山ブドウからはパンの酵母菌を採取。ミズの実はゆでて酒と醤油につけた。

いやー、疲れた。キノコ採りはヤブこぎもする全身運動の山登りである。
登山靴を履いて山に入ったが、地下足袋のような靴の方がよさそうである。
なにしろ道がないところを歩く。

岐阜の方で熊に襲われた人がいたが、この山も熊のすみか。鈴を鳴らしながら山を進む。

写真はブナの森から見た青空。

2009年9月15日火曜日

牡鹿コバルトライン

青い空、青い海。その海は本当に澄んでいた。

石巻の古民家を見に行った帰り。女川の原子力発電所を眺めながらおにぎりをほおばり、さらに南三陸の海を堪能した。

このあたりの海はとてもきれい。沖縄の海のような原色の派手さはないが、東北の海らしく黒っぽく、どっしりと構え、それでいて透き通った水が穏やかに満ちていた。

牡鹿半島のコバルトラインまで足を延ばし、展望台から太平洋を望んだ。

太陽の光はまだ痛い。でも風はもう秋。心地よい。

もうすぐ山は色づくだろう。

2009年9月14日月曜日

定禅寺JAZZ

9月12(土)、13(日)の両日、定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台が開かれた。今年で19回目とか。大きなケヤキ並木で有名な仙台市の定禅寺通り。この通りを中心に2日間でプロ、アマ700ほどのグループがジャズやロック、ラテンの音楽を奏でる。
12日は雨だったが、13日は晴れ。大勢の人で賑わった。
正直言って、七夕なんかよりもはるかに楽しい。
生ビールを飲んで、音楽に浸れる。
つまらなければ別のステージを探せばいい。
ところが、なかなかうまい。聴衆の乗りもいい。つまり面白い。
13日は日本酒の利き酒セット3カップ500円なんてやつもあり、ますますご機嫌になった。
写真は西公園でやっていた大学生のバンド「ボルケーノ」。うまいし、元気がいいし、もっと聞きたいバンドだった。

2009年9月8日火曜日

蔵王 お釜

久しぶりに蔵王のお釜を見た。お釜というのは、宮城県と山形県の県境にある蔵王の火口湖だ。水が溜まっていて美しい。7月ぐらいまでは残雪もあり、なかなかきれい。ただ、晴れることはめったにない。この日は青空こそなかなか顔を出さなかったが、気持ちの良い日だった。

宮城県側から蔵王エコーラインを登り、山頂のお釜に着いた。刈田岳、熊野岳がよく見える。

ここお釜は宮城、山形双方の観光地で、長い間、県境が争われていた。
その話は最近聞かないから、決着がついたのだろうか。

蔵王はまもなく、ナカカマドが赤く色づき始める。10月には雪。11月上旬には蔵王エコーラインが閉鎖される。4月末まで、冬籠りだ。

2009年8月31日月曜日

ネコはなつかない

ネコというものは人にゴロゴロとなついてくるものと思っていた。
それが、どうもそうとは限らないということを最近知った。
左のネコは従兄の家にいたネコ。このネコ、すうっと寄ってきて、膝の上でゴロニャンと甘える。
ところが従兄は「噛みつく」という。
ネコが噛みつく?
不思議に思った。
ちょっと離れていたネコはまた寄ってきて膝の上に座った。
目をそらした次の瞬間、聞こえた。
「フー」
突然前足があごに伸びた。
やられた。



角田の畜産体験でのこと。
倉庫の中で、牛のえさ用にクラッカーを袋から出していた。
子猫が寄ってきて、ちょこんと座る。
手を伸ばすと逃げて行く。
でも、また寄ってくる。
クラッカーを手で食べさせようとすると、離れる。
試しにクラッカーを投げたら、食べた。

と、子猫が何かを見つめている。
何かが飛んだ。
バッタだ。
子猫は上手に捕まえ、食べた。

顔はキュートでかわいいが、本質は「野生」、なのである。

2009年8月28日金曜日

仙台港着~北海道テントの旅14日目

隣の人のいびきで、ほとんど眠れず。
午前2時ごろからロビーで旅行の資料整理。
寒くて午前4時ごろ部屋に戻るが、やはりうるさい。
風呂に入る。

写真は金華山? もっとも陸が近く見えたところ。

8月12日午前10時。仙台港着。
車の走行距離は3000キロを超えていた。

支笏湖、札幌を経て苫小牧~北海道テントの旅13日目(フェリー泊)

札幌へ行くことにする。
目的は薪窯パンのヴェルジネ・バッカーノと自分たちでコーヒー豆を輸入しているドクターカップグループのはしのコーヒーに寄るため。

夕方のフェリー出発までに苫小牧に行けそう、と踏み、支笏湖経由とする。

支笏湖ビジターセンターに寄り、反対側のいとう温泉支笏湖に面した露天風呂入浴。広い湖を眺め、太陽の下で入るお風呂は気持ちがよい。
ここは冬季間閉鎖。
ちょうど札幌から来ていたライダーは、温泉に入り、本を読み、飽きたら湖で泳ぎ、また温泉に入る、という。
男女別だが、湖に入れば見えちゃうな、と思う。

ヴェルジネ・バッカーノは支笏湖から札幌に向かう幹線沿いにあった。
しっかりした薪窯っぽいパンを焼いている。
見るからにおいしそう。
カフェも併設している。
隣は畑で、いい雰囲気だ。

ついではしのコーヒーを探す。
住所で見つけ出す。
はしのコーヒーはビーンズショップだった。ビーンズショップというのはコーヒーの豆屋さん。
ドクターカップというのは全国に4軒ほどあるコーヒー豆を共同輸入しているグループで、ブラジルなどへ直接行って買い付けしている。コーヒー豆の生産者との一体化を目指す焙煎者のグループだ。
はしのコーヒーの場合、豆を買った人にサービスでコーヒーを提供するが、カフェは開いていない。
中に入ると、焙煎中のコーヒーの香りがプーンと漂う。
販売する商品にはコーヒー農園の名前が書かれ、国・地域名では分類していない。
豆を250g買い、サービス品のエスプレッソを飲む。
エスプレッソを飲む流儀に従い、砂糖をたっぷり入れ、3口ほどで飲む。

折角、札幌まで来たのだから札幌ラーメンを食べよう、と駐車場付きのラーメン屋すみれの札幌本店へ。
まあまあだが、旭川ラーメンには負ける。

またまた折角だからと時計台を見に駅前へ。途中、路面電車と並行。

時間があったから、一般道で苫小牧へ。札幌ドーム、新千歳空港の側を通る。
苫小牧で土産にしようとスーパーの魚売り場を物色するが、いいものに出会わない。
それどころか石巻産まである、さすがに仙台への土産にはできない。

苫小牧のフェリー乗り場で、魚を売っている市場を紹介され、向かう。
黒カレイ10枚とホタテ5枚を1200円で購入。

7時出発のフェリー「きそ」に乗った。
夜はロビーで、コンビニ弁当。

白老で塩釜神社参拝~北海道テントの旅12日目(白老泊)

小鳥の声で目覚め。テントの外は様々な小鳥たちで賑わっている。キツツキが木を叩く音も聞こえる。
前日、日高で買ったトウモロコシをゆでて食べる。
美味い。

朝食後にキャンプ場周辺をトレッキング。展望台へ。川の水源を訪ねる。紅葉平、というところはモミジがいっぱい。秋はさぞかし見事だろう。
出発は明後日と決まったし、苫小牧までは近いので、のんびり2時間ほど歩く。

キャンプ場に戻り、仙台藩元陣屋資料館へ。蝦夷地警備を担った仙台藩の陣屋跡地だ。
何かお祭りをやっている。
人の後を追っていくと、なんと塩釜神社。
階段を登り、カミさんが「仙台から来ました」と漏らしたら、「仙台からお参りに来てくれたんだって」
小さな神社の中に案内された。
旅のついでに寄った、とは言えず、手を合わせる。
神社なんだから、2拍手すべきか、と悩む。
右側に神主さん、左右に氏子の人々。
手を合わせるだけ。
笹団子をもらう。

階段を下りて、資料館へ。本当は有料だが、金を払わず入館。
幕末に仙台から北海道まで来た人々の歴史が詳しく展示され、面白い。
仙台から来た人の末裔もきっと、この辺に住んでいるのだろう。
資料館の外で1杯100円のカレーライス。2杯で200円。
ホタテの入ったシーフードカレー。美味しい。
500円玉でお釣り300円を寄付金箱に入れたら、「寄付していただきました」
資料館の代金も払っていないのに、恐縮。

この地は白老牛というのが有名らしい。
自家焙煎のコーヒー店で、豆を買ったついでに、白老牛の入った白老バーガーも購入。

登別温泉へ。温泉地には定番の地獄谷という所をみて日帰り温泉。地下で露天風呂はないが、いい湯質。
日和山から噴き出る湯気、クッタラ湖などを見て、再び白老の町へ。

キャンプ場が混んでいる。やっぱり街が近いんだ。

襟裳は日高昆布の真っ盛り~北海道テントの旅11日目(白老泊)

北海道もあと3日。今日は一気に苫小牧近くまで行くことにする。
野営地は白老のポロト自然休養林にある、ふるさと2000年ポロトの森キャンプ場に決めた。

まずは襟裳岬。濃い霧の中、一気に南下する。左側の海岸でコンブを運んでいる風景が見られる。

襟裳岬は晴れていた。
ゼニガタアザラシを観察する女子高生がいる。肉眼では把握できない。

次いで西へ向かう。
優駿浪漫街道。競馬馬の産地なのだ。
道の両脇に長いコンブが干してある。
日高昆布だ。
キャンプ地用にトウモロコシやトマトを購入。コンブの香りがするという三石焼酎も購入。
コンビニでカレーを買って、社内で食事。

日高自動車道から道央自動車道。ゆとりを持ってキャンプ場着。
うれしいことに空いていた。

白老の生協でホタテを購入し、お決まりの温泉。今夜はキャンプ場と同じ公園内にあるポロト温泉。お湯は茶色。混んでいる。

夜、ホタテのバター焼きに三石焼酎。満足。


美味しい釧路、池田~北海道テントの旅10日目(帯広泊)

いつものようにお湯を沸かし、豆を挽き、コーヒーを淹れる。焼いたパンの朝食。おいしい。
が、こいつが失敗だったことを後で知る。
釧路は朝食抜きにすべきだった。

営業前の阿寒国際ツルセンターの隙間から、ツルを眺め、釧路駅を目指す。
釧路駅前の和商市場、というところに入る。
これはすごかった。なんてったって安い。まず様々な刺身をチョイスして、それをご飯にのせて、マイ丼を作ることができる。魚貝類も安い。目の色の黒い、間違いなく新鮮な魚が山盛りで1000円以下。持ち帰りたいが、まだ旅行は続く。
カミさんが、いつも野菜を送ってくれる人にカニの詰め合わせを送る。毛ガニ、タラバ、花咲の詰め合わせ、静岡までの送料込みで5400円。(翌日着いて、感謝していただいた)
朝食を済ませてきたため、刺身だけを食べる。
美味かった。
この和商市場の公衆電話から太平洋フェリーに電話。2日後、8月11日の苫小牧発仙台行のフェリーに空きがあるかどうかを確認。大部屋が空いていた。即決で予約。これで行き先は苫小牧と決まった。

次の目的地は帯広。帯広駅前の六華亭本店と日本で唯一の無加熱殺菌牛乳を作る想いやりファーム

途中、池田町の看板。池田町といえば、十勝ワインの町ではないか。昔よく、新宿伊勢丹の十勝ワインの立ち飲み屋に入ったものだ。
急きょ、池田町へ。ワイン城、というのを目指す。
食事をしようと、レストランへ。
すごく並んでいる。
しかし、並んで正解。
680円の「池田のランチ」。その豪華さに、美味しさに、度肝を抜かれた。
赤と白のワインも購入。

結果として、食べ過ぎ。六華亭本店のデザートは断念した。
帯広市街には入らず南下。中札内村の想いやりファームへ。
想いやりファームは日本で唯一、加熱処理をしていない牛乳を生産している。
牛乳は乳等省令という規則で定められているが、そのうち特に衛生管理が行き届いた牛乳を特別牛乳としている。生産しているところは日本で数社しかない。
中でも想いやりファームは加熱殺菌をしていないところなのだ。
ここは、今回の旅で行きたかったところの1つだった。
想いやりファームは小さな牧舎。なるほどきれい。子牛がいた。
ソフトクリームを食べ、180ccの牛乳を1瓶購入。
どちらもすっきりした味。濃いが、牛乳臭さはなかった。

探しに探して、野営地、ポロシリ自然公園オートキャンプ場発見。
ここは混んでいた。人がまばらだった今までのキャンプ場とは大違い。
テントサイトがほとんど開いてない。
人間の多い地域に戻ってきたことを思い知らされる。
テントも大きく、ほとんどが食卓を入れられるスクリーンタープを併設している。
旅行、というよりはキャンプを楽しみに来た家族連ればかり。
うるさいだろうなー。
一番奥に陣取る。

温泉は更別村老人保健福祉センター「福祉の里温泉」。
これも迷った。カーナビが当てにならないのにまともな地図もなく、行きと帰りに花畑牧場に遭遇した。
カーナビの通りに行ったら山奥に連れて行かれる。
霧は濃い。
道路標識を頼りに走ったら、なんとかキャンプ場に戻れた。

家族連れは意外に静かだった。

摩周、屈斜路、アブ怖い~北海道テントの旅9日目(釧路泊)

旅の折り返し地点は過ぎ、後は苫小牧(仙台行フェリー)か函館(青森行きフェリー)へ向かうのみ。

別海町は朝日が見えた。野付半島の向こうからのっそりと日が昇る。
太陽が顔を出す前、空が赤く染まりきれい。
太陽はまもなく雲の影に消えた。

南へ下って、北海道の最東端、納沙布岬に行くか、西の摩周湖にするか、迷った結果、摩周湖を選択。中春別、中標津、開陽台経由して裏摩周湖へ向かう。

中春別までの道ではシカに出会う。

裏摩周湖展望台。一般的な摩周湖の観光コースではない反対側。

摩周湖は霧に囲まれず、晴れていた。
ところが、大量のアブ。怖い。これから数日間、こいつにずっと悩まされる。
摩周湖は木に囲まれよく見えず。

この展望台を去り大分経ってから、裏摩周湖近くに透明度抜群の「神の子池」があったことを知る。
行かず、残念。

弟子屈の摩周温泉観光案内所で情報収集。
コンビニで弁当を買い、屈斜路湖へ。
間違って、屈斜路ウォータースポーツ交流公園に迷い込んだら、ここの事務所の方が親切。
「食事をするとこ、探してます」と話したら、「そこの木陰がいいですよ」
この公園はカヌーなどで湖を楽しむ人の施設らしい。

和琴温泉という露天風呂があることを知り、行ってみたら、きたない。加えて、人がぞろぞろ通る場所。
素っ裸で入る温泉ではない、ことを知る。

砂湯、という湖畔の砂を掘ると温かい場所を目指す。
無事到着。
ところが、アブが多い。とても車を出れない。
あきらめて、次の宿泊地である釧路近辺へ向かう。
途中、展望台から釧路湿原を眺める。

宿泊地は阿寒国際ツルセンター向かいの、あかんランド丹頂の里。
温泉は、徒歩5分の「赤いベレー」。なんでそういう名前なのか、考えてみたら、丹頂鶴の頭は赤かった。

テント張りはスピードアップして15分。

2009年8月27日木曜日

熊の湯はいい気持ち~北海道テントの旅8日目(別海泊)

羅臼のキャンプ場には今朝もシカの親子連れ。
晴れて気持ちがよい。
知床峠からは国後島の山がうっすらと見えた。
ところが、知床峠を越えた知床自然センターの辺りは曇っていた。

8時40分のバスでカムイワッカ湯の滝へ。温かいお湯の滝を登る。苔が生えず滑らない。とはいうものの、少しは怖い。

湯の滝の後は知床五湖。本当は5つの湖を見れるはずだが、三湖~五湖は熊が出たとかで、遊歩道が閉鎖されていた。したがって回れたのは一湖と二湖。曇っていたので羅臼岳も見えない。

羅臼のキャンプ場へ戻り、テントを畳む。後ろのテントのおじさんはまだ残る。「お先に失礼します」と挨拶したら、小さく手を振っていた。

このキャンプ場の楽しみだった露天風呂「熊の湯」に入らず、立ち去るわけにはいかない。
青空の下、「熊の湯」に入る。
予想以上にいい湯。晴れていて、日光が顔に暑い。そのままボーッとしていたい気分。
しかし、出かけないと次のキャンプ場までたどり着けない。

羅臼の街中で、ホッケ定食。美味い。あんまり美味かったから、魚やでホッケ、大ぶりのやつを買う。シマエビとカキも。

ゆるりと南下。海を左に標津へ向かう。ずっと国後が見えている。すぐ側の島。こんなに近いのに、行けない、とは。

標津の町を過ぎ、別海町の尾岱沼ふれあいキャンプ場着。今度は太平洋に面したキャンプ場。
それなりの金を払うが、ランドリー、ゴミ収集など設備も整っている。

温泉は尾岱沼シーサイドホテル。
毎日温泉に入り、体の調子も良い。

夜は昼に買った魚介類を焼く。ホッケは脂がジュージュー滴り落ち、野趣味満点。カキはふたを開け、醤油をたらして食べた。美味。

月が昇った。海に赤い光が反射した。

北海道3000Kテントの旅~地図



7/30(木) 仙台発 八戸~六ケ所村 大間泊

7/31(金) 大間~函館~長万部 小樽泊

8/1(土) 小樽~富良野 上富良野泊

8/2(日) 旭川~士別~羽幌 初山別泊

8/3(月) 初山別~稚内~宗谷岬 雄武泊

8/4(火) 紋別~網走~斜里~ウトロ 羅臼泊

8/5(水) 羅臼~ウトロ~知床岬 羅臼泊

8/6(木) 羅臼~知床五湖~標津 別海泊

8/7(金) 摩周湖~屈斜路湖 釧路泊

8/8(土) 釧路~池田 帯広泊

8/9(日) 帯広~襟裳岬~日高 白老泊

8/10(月) 登別 白老泊

8/11(火) 白老~支笏湖~札幌~苫小牧 フェリー泊

8/12(水) 仙台着


知床岬へ~北海道テント旅7日目(羅臼泊)

羅臼2日目の朝は爽やかだった。
森の中、この裏はすぐ、知床の大自然である。








テントの周りにエゾシカが来ている。
近づいても逃げない。
ここでは、人間よりエゾシカが多いのだ。






テントはそのままにし、ウトロへ戻る。
途中、知床峠で下車。
羅臼は晴れていたが、霧がかかり、羅臼岳は望めない。


オシンコシンの滝を見る。
観光バスで大勢の観光客。やはりキャンプ場とは違う。











普通の観光客は1000円ぐらいの美味しそうな弁当を買い、観光船乗り場側の有料駐車場に車を止める、と思うが、コンビニで300円の弁当を買い、道の駅に車を止め、観光船乗り場へ向かう。


船はいささか退屈。2時間ほどして、知床半島の先端、知床岬に出た。
知床はウトロから以北に人は済んでいない。
秋から冬にかけてのサケ漁で使う番屋があるだけ。
陸路もないから、知床岬には船でしかこれない。
ウトロまでの帰りは、船内で寝る。




午後は知床自然センターに車を止め、遊歩道を歩き、フレペの滝を見る。
この遊歩道はよかった。
晴れていて羅臼岳がくっきり見える。
花がきれい。
シカも多い。






羅臼への帰路。知床峠から羅臼岳の全容が見えた。









キャンプ場には早めに到着。らうす第一ホテルで入浴。
まだ明るく、露天風呂のお湯が心地よい。もう風が冷たい。

夜、真っ赤な月が見えた。

サロマ湖展望台にはキタキツネ~北海道テント旅6日目(羅臼泊)

のっそりとテントを出る。
晴れそうな気配。だが、東の空は雲がかかり、太陽が出たのか、夜明け前か、よく分からない。
オホーツク海から登る朝日を見れる折角の機会だったが、日の出の時刻も知らず、ぼんやりと夜が明けていた。

晴れてきた。
テントをたたみ、海側のベンチに移動。
稚内で買ったコーヒーを淹れる。お湯を注ぐとしっかり膨らむ。いい味だ。
こういうコーヒーを飲むと身が引き締まる。

今日はできるだけ知床寄りのキャンプ場を目指す。まずはサロマ湖。そして網走だ。

238号、オホーツクライン通りに曲がらず、サロマ湖への一本道を走る。
ひたすら真っすぐ。
そのどん詰まり。サロマ湖があった。潮が引き、船が船体をあらわにしている。
あまりきれいではない。

サロマ湖展望台というところを目指す。
この道でいいのかなー、という山道を登って行ったら、展望台の駐車場があった。
ここで子ギツネが2匹。キタキツネ、なんだろうたぶん。誰かが餌を与えたのか、人間から離れない。
見てると、バッタを捕まえたりしている。
ネコと一緒だ。
展望台へは歩いて登る。屋上に出ると、サロマ湖が一望できた。
広い。
下の国道の車から、T元幹事長の声が聞こえた。
ここが地元なんだ。

山を下り、道の駅で一服。網走へ向かう。
食事をして向かったのは、博物館網走監獄。網走番外地シリーズが大好きだった世代としては、どうしても見たいスポット。
なんと学割がきいた。
また、映画が見たくなる。帰ったら、借りよう。
その近所の北海道立北方民族博物館も見学。日本人より外人さんが多い。
中南米のコーヒーが北極を通って北欧に運ばれた、など、なかなか興味深い展示が多い。

知床はさすがに遠いので斜里町を目指す。
斜里町でキャンプ場を探すが、めぼしいのがない。
キャンプ場ガイドを見ながら検討した結果、知床、それも最奥といわれる羅臼のキャンプ場を目指すことにする。
キャンプ場に電話すると、6時まで受け付けする、という。

途中、ウトロで食材購入。ウトロから羅臼へは知床峠を越える山越え。
ウトロ側は晴れていたのに峠が近付くと濃い霧。山を下っても霧は晴れない。
6時前に着いた。
このキャンプ場は昨年、クマが出たため閉鎖された。
いたるところに「クマ注意」の看板。昨年の話も出ていた。夜中にゴミ捨て場付近に現れたらしい。
ちょっと緊張するが、奥の高台に陣取る。
テントを張り終えると、暗くなりかけていた。

近くの温泉、知床観光ホテルへ。
ここの温泉はすごかった。
なにがすごいって、その不気味さが。
フロントで金を払い廊下をずっと行った先がお風呂。
おじさんが1人、脱衣場で涼んでいた。
中に入ると、うす暗く、湯煙でほとんど見えない。
広い。奥行き20m、横幅40mぐらいはあるか。
その中に湯船は3つ。
なのに客は俺1人。夜だし、これは少しビビる。
それでも折角だからと、すべての湯船を堪能した。

外に出たら真っ暗。
キャンプ場では真っ暗な中、調理開始。
後ろのテントのおじさんはもうテントの中に入った。
静か。テントは、この静寂がいい。

知床にいるんだ。




何もないオホーツク~北海道テント旅5日目(雄武町)

雨は明け方まで降り続いた。
朝になると、カラスの声が大きい。
5時ごろ起きると、どんよりとした曇り空。
目の前が海なのに爽やかさがない。
コーヒーを淹れ、パンを焼く。
今日はいよいよ最北端だ。

食事を済ませ、テントを干す。割と簡単に乾く。
7時過ぎ、出発。日本海を左手に見ながら、オロロン街道を北上。まずはサロベツ原野を目指す。
途中、風車が列をなしていた。

サロベツ原野では秋田から来た夫婦に会う。
ホンダのフィットの後部座席を倒し、板を張り、平らにしている。布団を積み、車中泊ができるよう改造している。
月の半分は車で旅行するという。ETCの1000円割引が登場してからは鹿児島まで行ったとか。
朝食と夕食は、前日夕、スーパーで半額になった弁当を調達。3日に1回ぐらいは宿に泊まり、美味しいものを食べる。
こういう旅行もいいかな、と思う。

稚内へは昼前に到着。洗濯物が溜まっていたので、ガソリンスタンドでランドリーの場所を聞く。
すぐ側にあった。洗濯をしている間、副港市場で食事。
奮発して2500円のウニ丼を食べる。カニの味噌汁付き。
うまいのだが、2500円の価値はあるか? 疑問。
隣の店で、ホッケの干物とイカ飯を購入。

洗濯物を回収し、ノシャップ岬へ。雨の中、到着。本当は利尻島が見えるはずだが・・・。残念。
稚内でもコーヒーの自家焙煎店を見つけ、100gだけ豆購入。
次は宗谷岬だ。


最北端なのだが、感動はない。冷たい雨の中、写真を撮って終わり。
間宮林蔵の碑があった。ここから先、樺太に渡り、樺太が島であることを発見したのだ。
先人の好奇心と勇気に敬服する。

あとはひたすら東へ。今回の旅行の最大目的地である知床を目指すだけだ。
「何もないよ」
吹上温泉でNTTの2人に聞いていたが、本当に何もない。
北海道NOが何台も追い抜いていく。
何をそんなに急ぐのだろう。
まあ、こっちは時間があるからな、と納得させる。
紋別まで行きたかったが、雄武(おうむ)町の日の出岬で妥協。
朝日がきれいだという。
海沿いに広がるキャンプ場。芝生がきれいだ。
雨はすっかり上がっている。

テントを張り、買い物。そして、お決まりの温泉へ。
今夜はオホーツク温泉「ホテル日の出岬
夕食は当然、稚内で買ったホッケの焼き魚。

2009年8月25日火曜日

旭川ラーメンはうまい~北海道テント旅4日目(初山別泊)

いびきも聞こえ、ベットは寝付けない。早朝起床。露天風呂へ向かった。
これが最高。小雨が降っているが、山も見える
冷たい雨と温かいお湯がうまくマッチする。
奥さんと札幌から来たというおじさんと話をする。
「札幌だと空が狭い。ここは空が広くていいですね」
なるほどビルや家に囲まれていないから空が広い。
気持ちも広くなるようだ。

この朝もコーヒーを淹れる。うまい。
朝食が終わるころ、雨は本降りに変わった。テントでなくてよかった。

雨だし、美瑛のお花畑を見る雰囲気ではない。旭川の旭山動物園を目指す。

8時半到着。9時オープン。ところがもう並んでいた。さすが旭山動物園
傘をさし、チケット購入の列に並ぶ。

園内に入り向かった先は、やはり白クマ。並んで入り、アザラシ目線で白クマを見られるドームのコーナーにまた並ぶ。しかし、残念ながらドームから白クマを見ることはできなかった。

次いで向かった先は、白クマと人気を二分するアザラシ。細長で丸い縦の水槽をアザラシがスーっと泳いでいく。

ペンギン、オランウータン、オオカミと眺め、カピバラのコーナーへ。鼻の下の長い、どこかのおじさんのようで、なんか愛嬌がある。上の方にはクモザルが同居している。

体が冷えてきて風邪をひきそうなので旭山動物園を後にする。

そろそろ昼時。旭川ラーメンを食べてみようと、車を走らせると、「ひびき」というガイドブックに出ているラーメン屋さんを発見。お店の方に「お勧めはなんですか?」と尋ねたら「塩を頼まれる方が多いですね」
この「塩」がうまかった。この旅行中4回ほどラーメンを食べたが、「ひびき」の「塩」が一番。

ラーメンを食べたし、JR旭川駅も一応チェックし、一路、初山別を目指す。

旭川鷹栖インターから道央道に乗り、士別剣淵まで走り、左折。
いよいよ山越えだ。時折小雨が降り、暗雲が立ち込めている。
はたして今夜の野営は大丈夫か。
天気予報ではなんとか持ちそうだが。
日本海側の町、羽幌を目指す。

羽幌から北上。道路を走る車は少なく、店もない。どんよりとした天気。そんな中、うっすらと左前方に海から突き出た山が見える。
利尻島の利尻富士だ。

初山別みさき台公園キャンプ場、到着。
キャンプ場の受付で聞くと、買い物は来た道を車で20分ほど戻ったところ、という。
本当に何もない。

車で戻り、コンビニで買い物を済ませ、キャンプ場近くの初山別温泉「岬の湯」へ。
露天風呂は日本海が目の前に広がる。解放感があふれる。夕日がきれいだろう。

キャンプ場の側には天文台もある場所だが、あいにくの曇り空。

夜半、雨が降る。


小樽、そして富良野へ~北海道テント旅3日目(上富良野泊)

小樽の朝は、鳥の声で目が覚めた。
前の晩、そしてその次の晩ともにぐっすり。
テントだが、しっかりしたエアマットを敷いているのでフカフカである。
朝はコーヒー。家からコーヒー道具を一式持参しているので、完璧なコーヒーを淹れる。
まずお湯を沸かす。その間に、ポット(沸かしたお湯を入れる)、サーバー(ドリッパーから出たコーヒーを受ける)、ドリッパー(フィルターに入れた粉を入れる容器)、ペーパーフィルターを用意し、前日買った豆を挽く。
この瞬間がいい。お湯が沸く音がコトコト響き、コーヒーの香りが漂う。
生協で買った豆はやっぱり膨らまなかった(炒って間もない粉はお湯を注ぐと膨らむ)。
それでも、2日ぶりのコーヒーはうまい。しかも森の中のコーヒーは格別である。

キャンプ場から近い天狗山に車で登る。市街地が見えるはずだが、霧が濃く、視界が開けない。
小樽の町へ。車を止め、徒歩でブラブラ街を歩く。観光地だ。観光客向けの人力車もある。
北海道の石炭を運ぶ港として発展した街のようである。
戦前の発展が思い浮かぶ。
案内所でコーヒーの自家焙煎店を尋ねる。
「可否茶館」というところを教えてもらい、豆購入。
かま栄」というかまぼこ屋さんで「パンロール」というかまぼこをパンで包んだものをいただく。
これうまい。脂っこいが、うまい。
新鮮なコーヒー豆も買えたので、小樽を後にし、札幌自動車道に乗る。
札幌は通り過ぎ、滝川を目指す。
途中、岩見沢サービスエリアで昼食。「ポテト麺」というのを頼む。ラーメンの麺にジャガイモを練りこんでいるのか、うまい。冷たい麺である。
後は一気に富良野へ。
富良野では、新富良野プリンスホテルで、テレビドラマ「風のガーデン」の舞台となったブリティッシュガーデンを見る。「風のガーデン」は倉本創作で、緒方拳の遺作。
ドラマを見ていないので、残念ながら感動もなし。
ゴルフ場跡地に造られた庭園はこじんまりとしていた。
続いて、「ファーム富田」。これはすごい。クリックしてホームページを見てください。それだけでも良さが分かる。
中に「ファーム富田」の歴史を記した看板がある。経営が苦しく全部刈ろうとしたが、刈れなかった、と。
ラベンダーの蒸留水、石鹸などを購入。ラベンダー色のソフトもいただく。
宿泊先の「吹上温泉保養センター白銀荘」へ向かう。
天候は晴れ。雨は降りそうにない。テントの方がよかったのではないか。
白銀荘は自炊の宿。
みんなすき焼きやカツオの刺身と豪華な料理を作っている。
そんな中、宿の冷凍食品を温める。
札幌から登山に来ていたNTT社員2人と同じテーブルになる。
2週間ほど前に中高年者10人が亡くなった大雪山系の遭難はこの近くの山で起きたと聞く。
日本海側を稚内まで北上する、と言ったら、初山別に宿泊することを勧められる。
宿泊場所は2段ベット。料金は2600円。
温泉がよかった。サウナも付いていて、露天風呂が広い。

写真は「富田ファーム」。


どこまでも続く一本道~北海道テント旅2日目(小樽泊)

7月31日は5時に起きた。テントをたたみ、6時にはフェリー乗り場へ。
7時10分発のフェリーで函館に渡った。1時間40分の船旅である。
実は帰りのフェリーが予約できてなかった。苫小牧から帰るつもりだが、満席。フェリー会社の札幌営業所に電話するが、満席とのこと。キャンセル待ちを依頼する。
フェリーターミナルで、高速道路が3日間3950円になるというETC向けサービスがあることを知る。電話受け付けはないので、四苦八苦して携帯から申し込む。(後で、申し込まなかった方が安かったことを悟るのだが)
函館近郊泊を考えていたが、高速道路が安いなら、と小樽を目指す。八雲から高速、道央道に入り、あっという間に長万部に着く。羊蹄国道に入る。
道路が真っすぐ。対向車も少なく快適なドライブ
道の駅「らんこし・ふるさとの丘」で、ベーグルサンドのランチ。
北上。ニセコ着。ずっと行きたかった滑りたかったニセコスキー場が、札幌から結構離れた場所にあることを知る。
ニセコの道の駅「ニセコビュープラザ」では高原の野菜を購入。
倶知安、余市を経由して、小樽へ。
市街地から近い「おたる自然の村キャンプ場」を探す。
駐車場からはリヤカーで荷物を運ぶシステム。
森の中。静か。
テントを建て、「小樽天然温泉湯の花手宮出殿」へ。夜が迫っているため、慌ただしく上がり、生協で食材購入。コーヒー豆も購入。
ランプを灯して食事。
ラジオを聴いていると、翌朝は雨が降りそう。富良野近くの吹上温泉の相部屋を予約する。

写真は函館のフェリーターミナル。

2009年8月24日月曜日

星がきれいな大間の夜~北海道テント旅1日目(大間泊)

7月30日。カミさんと二人、旅に出た。北海道へマイカーで。金がないからテント泊、である。
出発は午前3時40分。午前4時までに高速に乗れば半額になる、とあわてて家を出た。
まだ暗い。途中、借りたDVD(姪の娘のために借りた「アンパンマン」である)を返却ボックスに入れ、高速に入った。
朝の高速は車が少ない。ほぼ制限速度で北を目指す。順調。
盛岡近くではもう、夜が明けていた。
サービスエリアで朝食。再び、北を目指す。
そう、目指すは北海道。である。青森からフェリーに乗るか、下北半島は大間にするか、迷った結果、大間、とする。
なんとなく八戸の町を見たくなる。
その直前、猛烈な睡魔に襲われ、休憩。寝る。
八戸の町を目指す。取りあえず、八戸駅へ。写真を撮影し、満足。
次は大間だ。
しかし、どうやって行けばよいのか。
看板を見、地図を見、なんとか海沿いを北上する。
寺山修司記念館」の看板を見つける。
何となく入ってみたくなり左折。三沢市の公園の中で、記念館を見つけた。
状況劇場。同時代なんだから、見ておけばよかったな、と後悔する。
美術館を後にしてさらに北上。ここまで来たら、六ケ所村にある原子力燃料の再処理施設を見たい。
再処理施設の実物は見れないが、見学施設があるらしい。
それを目指す。見学施設「六ケ所原燃PRセンター」は無料。おまけに本までもらえた。
大金で作って動いていない施設。無駄だ。しかし原発はクリーンエネルギー。
危険だが、CO2抑制につながる。
どうすりゃいいんだろう。
さらに北上。恐山が近い、と分かる。
せっかくだから、と恐山にも寄ることにする。
恐山に、イタコはいなかった。要するに、温泉の煙が出る地域。
まもなく夕方。大間への道のりを急ぐ。山道を通り、海岸線を通り、16時30分、本州最東端、大間着。
無料の大間キャンプ場にテントを張る。久しぶりのテント、しかも初めて利用するテントで、張るのに50分もかかった。
大間岬から対岸の函館が見える。
大間温泉海峡保養センター」で温泉に入り、食材を購入。80円で木槌も買う。
日の入りは18時30分。津軽海峡に沈む夕陽を見る。
夜。北斗七星がきれい、だった。

写真は恐山

土の塾―その2

角田市郊外の山間で我々3人は、畜産農家の実態をちょっとだけかじった。ホストの方からみれば、邪魔をしていただけだろうが。

朝は6時起床。我々は6時だが、ご主人は4時に起きて畜舎の見回りを済ませている。牛に異常がないかどうか調べる。
6時半、奥さんの手料理、しかも冷凍保存していた美味しいお米をいただく。
7時半ごろ、従業員の方が出社。8時から作業開始。赤ちゃん牛へはミルク、大人の牛へは稲わらのロールや特製の配合飼料を与える。300頭もいると量が半端でないから、重機が登場する。牛さえいなかったら、さながら土木現場だ。大型、中型のトラックもあるほか、飼料や堆肥の運搬でトラックの出入りがある。
12時ごろ昼食を取り、13時には作業再開。この間、ご主人は外部の会合へ出かけ、奥さんは家事を行い、忙しい。奥さんは経理担当でもあるので、決算期のこの時期は大忙しだった。
餌やりや牛の寝床用のおが屑を置いたりしているうちに17時。一応の作業終了となる。
以前、牛の数が少ない頃は、ご主人と奥さんが2人で朝仕事を終えてから朝食を取ったりしていたらしいが、従業員に合わせ9-5時の作業スケジュールに変えたという。
生き物相手だから休みはない。常に誰かが餌をやり、堆肥を変え、牛を見守っている。

こちらの畜舎からは「A5」という最高級和牛が生産されている。簡単に買える値段ではないが、1回ぐらいは食べてみたい。

土の塾―その1

8月20日から3泊4日で、農家に寝泊まりして農業を体験する、角田市農業振興公社主催のあぶくま農学校「土の塾」に参加した。「土の塾」は同公社が2001年から開催している。農業の新規参入者や農業に関心のある人を対象にした農業体験教室。今回は第9期で8人。全員が学生。ほとんどが東京からの参加者だが、出身地をみると北海道、新潟、韓国、ベトナムなど広範囲に分かれる。
今回は稲作、畑作、畜産などを経営する農家にそれぞれステイした。
私自身がお邪魔したのは牛300頭を飼う畜産農家。私を含め3人がお世話になった。畜産以外に水稲も経営している。牛の数がこれぐらいになると、家族だけではやっていけない。従業員もいて、牛への飼料供給、飼料の混合、寝床となるおが屑の収集、堆肥かき出し、堆肥の切り返しなどのルーティンワークをこなさなくてはならない。そんな中に牛の出産もやってくる。
話を聞いてみると、我々3人が伺う直前、牛の出産が始まった。しかも逆子。正常分娩なら頭から出てくるはずが、手を突っ込んで調べても頭がない。放っておけば、分娩の最中にへその緒が切れ、羊水を吸った赤ちゃん牛は死んでしまう。オーナーは我々を迎えに市街地へ向かっていたが、引き返した。機械を使って赤ちゃん牛を引き出したという。
写真は生まれた翌朝の赤ちゃん牛。もう立ち上がり、お母さんのおっぱいを飲んでいた。